南アメリカ原産のツユクサ科の一年草。昭和初期に観賞用として日本に渡来し、その後野生化している。やや湿っている日陰や水辺に群がり生える。初夏から夏にかけて白い花弁の三角形の花を咲かせる。なお、歳時記には掲載されていない。

南アメリカ原産のツユクサ科の一年草。昭和初期に観賞用として日本に渡来し、その後野生化している。やや湿っている日陰や水辺に群がり生える。初夏から夏にかけて白い花弁の三角形の花を咲かせる。なお、歳時記には掲載されていない。

「緑さす」は初夏の新樹や若葉に日が差し込み、その緑色が周囲に照り映える様子を表す。「新緑」と同義で使われることが多く、「新緑」の傍題としている歳時記もある。
掲句は南仏旅行中の作品。シャモニー近郊のセルボ村を散策しているとき見かけた光景が契機になっている。大きなトレーラーから、数千頭の羊が野に放たれた。それらの群羊(ぐんよう)を追う牧羊犬が数匹、その羊の群れの周りを行きつ戻りつして、賢そうに走り回っていた。羊らは草を踏み灌木を潜りながら、野を移動して行った。羊の背中にSやTの焼印(やきいん)を押してあるのが印象的だった。焼印は、所有者を識別するためのものだろう。令和7年作。
朝方に発生する霧のこと。日中に温められた地面から発生した水蒸気を含んだ空気が、放射冷却などで夜間に冷やされることで霧になる。霧は、細かな水の粒子が白い煙のように立ち込める現象。気象学上は、見通せる距離が1km未満の状態を指す。同じ現象は秋ばかりではなく春にも見られるが、これは霞(かすみ、春の季語)と称する。遠くのどかににたなびく霞に対して、霧は冷やかに立ちこめる印象がある。

旧暦8月16日の夜の月、又はその夜のこと。「既望(きぼう)」ともいう。月は満月を過ぎると少しずつ欠けはじめ、月の出も少しずつ遅くなる。「十六夜(いざよい)」は、その最初の月で、前夜の満月よりやや遅れて昇ることからこの名がある。動詞「いさよふ」はぐずぐずする、ためらふの意。

「炎天」は太陽の日差しが強く、焼け付くような真夏の空のこと。
掲句は今年(令和7年)の6~7月に南仏を旅行したときの作品。日本と同様、その頃のヨーロッパも熱波に見舞われていた。コートダジュールからプロヴァンスにかけてのエリアを巡る中で、多くの教会や大聖堂の内部を見る機会があったが、その日は地中海沿岸の港町ヴィルフランシュ・シュル・メールのサンピエール礼拝堂やサンミシェル教会を訪れた。礼拝堂の朝の祭壇(さいだん)には、礼拝に来た人たちの蠟燭の灯が二、三ともっていた。キリスト教信仰とは無縁の私だが、その地に住み、心の拠り所として日々教会に親しんでいる人々の心持ちを想像してみた。教会の天井辺りに鳥の巣があるらしく、雛鳥の声が時折こぼれてきた。令和7年作。