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俳句の庭

  • 桜東風母の歳月わが月日

    3月 30th, 2023

    「桜東風」は、桜が咲く頃に吹く東寄りの風のこと。この時季、気温のアップダウンはあるが、肌に触れてくる風の柔らかい感触はやはり春のものだ。そして、どこを歩いても、間近に、また、遠方に咲く桜が目に入らない場所はない。風そのものが、桜の明るさを帯びているようにも思える。

    掲句は、母に付き添って病院に連れて行ったときの作品。日頃は妻が付き添うのだが、その日はたまたま私が病院まで一緒に歩いて行った。手をつなぐのは照れ臭かったので、私が前を歩き、ときどき遅れてくる母を振り返った。途中満開の桜が、やや強めの風に花びらを飛ばしていた。その時は、半年後、母がこの世を去るとは、思ってもみなかった。平成31年作。

  • 囀に合わせ歩幅をゆるめたり 宇多喜代子

    3月 30th, 2023

    春の繁殖期を迎えると、鳥たちは梢などで求愛の声を奏でる。四十雀などは、夜明けを待ちかねたように、二、三羽が、別々の梢で一斉に鳴き始める。彼らにとって、「囀(さえずり)」は、求愛であるとともに、縄張り宣言でもあるのだろう。冬の間は藪などにひそんで餌を漁っていた鳥たちが、人の目も怖れず、木の天辺に姿を現す。

    掲句は、ゆったりとしたテンポの「囀り」に合わせて歩幅を緩めたという。作中で多くのことを語っている訳ではないが、自然とともにある日常や春が巡ってきた喜びを、無理のない言葉で、さり気なく、しかし、確かに語っている。『俳句』2023年4月号より。

  • 春園

    3月 29th, 2023

    公園や庭園は年を通して四季折々の風情を楽しめるが、生き生きと木々が芽吹き、色とりどりの花を咲かせ、芝が青み、梢に鳥たちの囀りが聞かれるようになる春は、ことに心惹かれる場所だ。そこは、常日頃の忙しない日常とは別の時間が流れているようだ。職場が近くにある人が、束の間の昼休みを憩いに来る。絵画教室の生徒らしい人たちが、木陰などに思い思いに画架を立てている。ベンチで一人弁当を広げている人もいる。子供たちは夢中になって遊具に集まっている。木の周りには、自転車や乳母車が乗り捨ててある。冬の寒さから解放されて、誰にも拘束されることなく、思い思いに過ごせるのが、「春園」の魅力だ。

  • 夜桜

    3月 28th, 2023

    俳句で「夜桜」といえば、夜の桜のことであり、また、夜桜見物を意味することもある。昼の桜も美しいが、夜、闇の中に仄かに浮かび出ている桜やライトアップされてくっきりと妖しい美しさを浮かび上がらせている桜は、人々を惹きつけて止まない。歳時記では「夜桜」が、通常、植物の部ではなく、生活の部に分類されているのも、夜の桜の周りには、その美しさを堪能しようとする人々の影が見え隠れしているからだろう。いつもなら誰もが寝入っている夜更けになって、夜の桜の周りに佇んでいる人を見掛けるのも、この季節ならではのことである。

  • 摘草の顔を起こせば武甲山聳つ

    3月 27th, 2023

    「摘草」は、春、野に出て蓬、芹、土筆、蒲公英などを摘むこと。「野遊」「踏青」などと並んで、春の季語になっている。食材として、蓬や土筆を摘む機会は、一般的には減ってしまったが、屋外で春の解放感を満喫することができる。取り立てて目的もなく、地面に萌え出たばかりの蓬を摘んで、やわらかな風の中で指についた匂いを嗅ぐ。佳き季節の到来を実感する一瞬だ。

    かつて気ままに「摘草」をした時のことを思い浮かべながら、掲句を最初にノートに書き留めたときは、別の山の名だった。ある時ふと思い付いて「武甲山」(ぶこう)に書き替えた。「武甲山」は埼玉県秩父地方の山で、秩父盆地の南側に聳つ。身近にあるこの山に対する愛着が、この句の根っこにあるのかも知れない。「郭公」の井上主宰には、「その地に暮らす人の意志的な思いが籠められているだろう。」と鑑賞していただいた。令和3年作。

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