要(かなめ)はバラ科の落葉小高木。標準和名は「カナメモチ」。暖地に自生するほか、庭木や生垣として植えられる。5、6月頃、蕎麦の花に似た多数の小白花を房状につける。赤く染まる新芽も印象的だ。

要(かなめ)はバラ科の落葉小高木。標準和名は「カナメモチ」。暖地に自生するほか、庭木や生垣として植えられる。5、6月頃、蕎麦の花に似た多数の小白花を房状につける。赤く染まる新芽も印象的だ。

本章の初めに掲出した龍太作に再び戻りたい。
こころいま世になきごとく涼みゐる(昭和60年) 星月夜こころ漂ふ藻のごとし(昭和61年) 元日のこころにはかに麩のごとし(平成2年) 夏夕べこころしばらく紺のまま( 〃 ) 手鞠唄こころ浮世の宙にあり(昭和63年)
第一句では、故郷にあって四囲の山川草木に溶け込んでいる自らの心の在りように、作者の俳人としての目が注がれている。この句の「世になきごとく」の比喩から、虚子が『俳句とはどんなものか』(大正2年)で述べた写生論の次の一節を思い起こすのは、私だけではないだろう。
「・・先ず人間の頭を小にして微弱なものとし、自然を大にして変化に富めるものとしてお考へになつて置くことを必要と存ずるのであります。」
虚子と龍太には対世間的な身の処し方や句風など様々な面で違いがあるが、両者の自然との向き合い方、自然観、宇宙観には近いものがあるのだろう。
第二句は、「壇ノ浦・早鞆の瀬戸(五句)」との前書きが付されている諸作の中の一句であり、当地を訪れたときの旅吟だが、この句には、旅吟とは思えない感触がある。旅中の作者は、
幼帝のいまはの笑みの薄紅葉(昭和61年) 身にしむや海の底ひの都まで( 〃 )
などの作があるように、関門海峡の潮流を目の当たりにして、源平合戦の昔に思いを馳せたのだろう。そして遥かな時の彼方に馳せた思いを、再び、旅中の作者自身の「こころ」に戻したとき、それが、漂う藻のごとく頼りないものに感じられた。季語「星月夜」には、そのような作者の心の揺らぎの跡が見える。
どこにありても南風は故郷の風(平成元年)
の作があるように、円熟期の龍太にとって、旅中においても家居の日常においても、心の在りようには変わりがないのだ。
第三句の「麩のごとし」との比喩は、
良夜かな赤子の寝息麩のごとく(昭和55年)
でも用いられている。この句の「麩のごとく」は、ぐっすりと寝入っている赤子の寝息の健やかさ、柔らかさを過不足なく表現しており、「良夜」にあって、赤子の寝息に耳を澄ましている作者の幸福感が自ずから感じ取れる。
これに対して掲出の第三句では、「麩のごとし」との比喩は元日の作者の心の在りようの表現になっている。年が明けて、年賀の客への応対など一家の主としてなすべきことがひと通り済んでしまうと、作者の身辺には「にはかに」静かなゆったりとした時間が流れ始める。そのようなくつろぎの状態にある作者の心の感触が「麩」に譬えられているのだ。
元日の心の在りようを詠った作としては、
元日や手を洗ひをる夕ごころ 龍之介
がある。この龍之介作からは、元日の夕暮れ時の冷え冷えとした独り心の感触が伝わってくる。手を浸した水の冷たさが、どこか空虚な作者の心にひやりと触れてくるようだ。
一方、龍太作には、年賀の客は帰ったとはいえまだ日暮には間があり、午後の穏かな日差しが作者の身辺に差している。龍之介の「夕ごころ」の冷え冷えとした感触と比べると、同じ独り心とは言え、龍太の「こころ」には雑事から解放されたくつろぎと余裕がある。
第四句では、夏の夕べの「紺」に染まったままの「心」が詠われている。晴れきった夏の夕べの空は「紺」ひと色でまだ暮れる気配はなく、目を閉じても、心は空の「紺」に染まっているようだ。昨日と同じように今日も平穏に過ぎてゆく。初期作品に
紺絣春月重く出でしかな(昭和28年)
があるように、「紺」は、作者が幼少期に着た久留米絣の模様の色であり、幼時の思い出に繋がる至福の色だった。
「紺」が龍太の好きな色だったことは、
露草も露のちからの花ひらく(昭和27年)
の作についての自句自解の次の一節からも窺える。
「紺という色は、すべて朝がいい。夕ぐれは、いち早く闇に消える。静かな落着きと、寡黙な品位と、あるいは素朴な力とを柔らかく調和した色のように思われる。」
第五句は、前述のように句集『遅速』から漏れた作であり、一読、正月の諸行事が滞りなく済んだ静かな午後のひと時、庭先から聞こえてくる手鞠唄に、暫し浮世を離れた気分でくつろいでいる作者の姿が思い浮かぶ。第三句と同様、家居にあっての正月の心のくつろぎを詠んだものだが、「こころ」が「浮世の宙」にあるとの把握、表現には技巧の痕が露わであり、そこに危うさも孕んでいるようだ。自適のくつろぎにある自らの心の感触を表現しようとするとき、作者には、露わな技巧は作品の風合いを毀すものと感じられたのではないだろうか。
危きに遊ぶ目白の羽づかひ(昭和58年)
句集『山の影』所収のこの句には、モノと言葉の間の危うい隙間に遊んで、その危うさを愉しんでいる趣きがある。『遅速』に収める作品の自選に当たり、作者が、この「危きに」の作と同系統の前掲の「手鞠唄」の作を句集に収めなかったところには、作者がこの時、自作のうち何を是とし何を非としたかの一端が窺えるように思う。
以上、「こころ」を詠った円熟期の龍太の諸作をみてきた。いずれの作においても、作者は、自適のくつろぎの状態にある飾らない自らの心の感触を見えるように表現することに心を砕いているようだ。
これらの諸作において、「こころ」は、「世になきごとく」涼んでいたり、「漂ふ藻」や「麩」に譬えられるものであったりする。円熟期の作者が表現しようとした自らの内面の世界が、指で触れば崩れそうな、頼りなく儚げな浮遊するものに譬えられていることは印象的で、人間存在そのものの頼りなさ、儚さをも感じさせる。
風吹いて身のうち濁る春夕べ(昭和63年)
闇よりも山大いなる晩夏かな(昭和60年)
千里より一里が遠き春の闇(昭和63年)
これらは、前掲の「こころ」の諸作と同時期の作である。
第一句の「身のうち」も、「こころ」と同様、通常五感では捉えることができないものである。風が吹いたとき、作者には「身のうち」が濁ったと感じられた。そこに、春の夕べの愁いとも懈怠ともつかない心の在りようが浮かび上がってくる。
第二句についてみると、客観的な事実としては、山が、それを包んでいる闇よりも大きいということはあり得ないのだが、暮れ切って闇に沈んだ山の存在感をありありと感じた作者が、感じたことを見える表現にしようとしたとき、このような句になった。
第三句についても同様のことが言える。「千里より一里が遠き」ということは、客観的、物理的な事実としてはあり得ないのだが、時には、人生の様々な場面で、心理的にそのように感じられることもあるものである。
「こころ」、「身のうち」、「闇」などは、いずれも五感では捉え難い対象であり、円熟期の龍太に、五感では捉え難いが定かに感じられるものを表現しようとする志向があったことは確かだろう。そこには喜怒哀楽のつよい感情の表出はなく、また、前掲の西行の和歌にみられるように何かに「あくがれ」てもいない。 何の負荷も掛かっていないくつろぎの状態にある心が、前述のようにふわふわした頼りなげな相を呈していることは、根底に、作者が、自らの人間としての存在の淡さ、頼りなさを自覚していることを思わせる。そして、淡く頼りない存在である自らの「こころ」を愛惜する心情も窺える。
「ゆりの木」は、北アメリカ原産のもくれん科ユリノキ属の落葉高木。別名「チューリップツリー」。明治初期に渡来し、公園木や街路樹としてよく使われる。初夏の頃、枝先に椀形・チューリップ形の黄緑色の花が上向きに咲く。花の基部にオレンジ色の斑紋がある。

マダケ、ハチク、モウソウチク等の竹類は、筍の出る時期が種類により異なり、春先に出るのはモウソウチクで、マダケとハチクの筍は、初夏から仲夏にかけて伸びてくる。筍が生長する過程で、新芽を保護していた皮は剥がれ落ちていく。竹の皮は、竹皮細工の材料や弁当・羊羹等を包む素材として一部で利用されている。

西行は、花にあくがれる自らの心を見詰めて多くの和歌を詠んだ。
吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき 西行
あくがるる心はさてもやま桜ちりなむのちや身にかへるべき 〃
花に染む心のいかでのこりけむ捨て果ててきと思ふわが身に 〃
これらの歌を読むと、世を捨て、現世への執着を捨てた西行にして、いかに桜への執着、憧れが強かったかがよく分る。特徴的なことは、「花にあくがるる心」、「花に染む心」が、「身」と対比されながら、あたかも目に見え、五感で確かめられる形を持ったモノであるかのように詠われていることである。「花にあくがるる」自らの心の在りようを、作者西行は、少し離れたところから眺め、嘆き、驚き、興じている。
これらの作はそれはそれとして面白いが、今日の我々の目から見れば、「心」と「身」とを対比して表現しているところにやや技巧の跡が見え、作品の余情のふくらみの点では今一つの感がある。
西行が花を詠った作のうち上乗の作としては、掲出の諸作ではなくて、やはり
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ 西行
にまず指を屈しなければならないだろう。この歌では「心」と「身」を対比させてはいないが、作者の「花にあくがるる心」は、作品の余情として紛れなく感じられる。
以上の西行の諸作は、短詩型文学においては、もっとも表現したいことを露わに表現するより、表現の後ろに潜めることにより、作品の余情を豊かにすることができる一例を示しているようにも思える。
比較のために、芭蕉が花(桜)を詠った句についてみてみたい。
命二ツの中に活たる桜かな 芭蕉
花の雲鐘は上野か浅草歟 〃
さまざまの事おもひ出す桜かな 〃
しばらくは花の上なる月夜かな 〃
『野ざらし紀行』では、掲出の第一句には「水口にて二十年を経て故人に逢ふ」との前書きがある。故人とは伊賀の服部土芳のことで、土芳と再会できた芭蕉の喜び、感動が、「命二ツの中に活たる」とのやや大仰で抽象性を帯びた表現や強い気息となって表れているが、感動の主体である作者の心そのものが明示的に表現されている訳ではない。
第二句は、草庵から、上野や浅草の花の雲を眺めわたしての作である。「・・か・・か」のリフレインには、花時の浮き立つような気分とともに、どこに出掛けるでもなく、「花の雲」を遠望しながら草庵に籠っている作者の気だるい気分も感じ取れる。
第三句は、帰郷した折、探丸(芭蕉の故主君蝉吟公の子)の花見の席に招かれての作。「さまざまの事」との漠とした表現により、却って、作者の万感の思いが表れている。
第四句は、花と月に焦点を絞って夢幻的なはなやぎが感じられる作品である。前掲の西行の和歌とは異なって直截な表現はないが、西行と同様芭蕉にもあったと思われる花にあくがれる心が表現のうしろから匂いでてくるようだ。
以上みてきたように、西行は専ら花にあくがれる心を詠んだが、芭蕉の作における桜の詠み振りはより変化に富んでいる。また、芭蕉の作においては、感動の主体である作者の心は、西行の和歌のように前面には出ずに、表現のうしろに潜められている。
俳句では、これらの芭蕉の句のように「心」と直截に表現しないことが多い。
人間探求派と称される俳人の中でも、最も自らの内面、「心」への踏み込みへの志向が強かった思われる加藤楸邨の場合はどうだろうか。
昭和十四年の座談会で、楸邨は、自らの志向を、「俳句における人間の探求」と述べている。楸邨が探求しようとしたのは、「人間」一般ではなく自らの内面だった。
冴えかへるもののひとつに夜の鼻 楸邨
句集『火の記憶』所収。「三月十六日、午前 警報あり」との前書きがある。「夜の鼻」という自らの身体の一部であるモノに託して、空襲の日々を過ごしている作者の心の在りようを浮かびあがらせている。冴え返っているのは、厳しい戦局にある戦時下の日本であり、作者を取り囲んでいるもろもろの対象だが、その中でも作者自身の「夜の鼻」が意識された。自らの鼻に託された作者の心そのものが冴え返っているのだ。
この句では、作者の心は、前掲の西行の和歌のように一途に対象にあくがれているのではない。空襲が日常化し、閉塞感のある日々を送っている作者の生身の人間の心がある。
行々子暮れねば顔の定まらず 楸邨
声出さば崩れ去るべき秋の顔 〃
日本にこの生まじめな蟻の顔 〃
笑顔みな使ひはたしぬこれから河豚 〃
海鼠食ひし顔にてひとり初わらひ 〃
裸木にひたすらな顔残したり 〃
句集『まぼろしの鹿』、『吹越』、『怒濤』所収の作品から掲出した。
楸邨は、鼻を含めて、顔をモチーフにした多くの句を残した。楸邨にとって、顔はその人の極印であって、決して単なる識別のための符丁ではない。そのような人の顔というものへの関心を、楸邨は終生持ち続けた。
これらの作は、濃淡の違いはあるが作者の自画像だろう。掲出の第一句から第三句にみられる突き詰めた生まじめさは、第四句、第五句では、余裕と諧謔に溢れており、笑いの世界に転じている。
第一句、第二句には、自らの内面の脆さ、不安定さを見詰める作者の眼差しがあり、また、第三句では、「生まじめな蟻の顔」に自らの内面を投影させていて、これらの作で詠まれている「顔」の生真面目さは、若かりし頃の人間探究派としての楸邨の姿を彷彿させる。
これに対して、第四句は、自らを戯画化する余裕から生まれた作であり、第五句は、海鼠を食った顔のまま、誰も居ないところで「初わらひ」しているという、自らの内面に混沌としたものを抱え込んでいた人らしい作である。
第六句は、「永別十一句」との前書きがある諸作の中の一句であり、妻知世子の追悼句。この句の「ひたすらな顔」は作者の思い出の中にある在りし日の妻の顔だが、そこには楸邨自身も投影されているだろう。
以上のように、作品で詠まれる「顔」の表情には変遷があるが、いずれにしても、楸邨にとって、「顔」は、自らの内面に踏み込み、自らの心を探求するための梃子の役割を果たしている。楸邨の多くの「顔」の句は、楸邨における「人間探求」の志向の強さを物語っているようだ。
ふるさとはひとりの咳のあとの闇 龍太
昭和42年作。作者を包んでいる「闇」を詠うことによって、「闇」に包まれている作者の心の在りようを浮かび上がらせている。母を喪った後の重心の低い独り心の世界であり、
父母の亡き裏口開いて枯木山(41年)
の作とともに、父母の亡き故郷に定住する侘しさがひりひりと感じられる。
掲出句における作者の独り心は、故郷で過ごしてきた歳月と切り離すことができない。この句の「闇」は、現在の作者だけでなく、過去から未来へと続く時間の流れを包み込んでいる。
このように、俳句では「心」と直截には表現しないで、余情をとおして作者の心の在りようを読者に感じ取らせるのが一般的な詠み方であるが、「心」と直截に表現している作例もある。
くれなゐのこゝろの闇の冬日かな 蛇笏
みずどりにさむきこゝろを蔽ひけり 〃
掲出句は、いずれも明治41年の作であり、作者が東京から郷里へ帰郷する前年に当たる。「こゝろの闇」、「さむきこゝろ」との措辞は、そのときの作者が抱えていた憂悶や自らの心を見詰める内省的な眼差しを感じさせる。このような「こゝろ」を詠んだ作は、内面に自らの支えを求めようとする内省的な心的傾向の表れだろう。
全作品を見渡した場合、蛇笏の「こゝろ」を詠み込んだ作品はそれ程多くはなく、多くの場合、
芋の露連山影を正うす 蛇笏
の作のように、心の在りようを表現の後ろに潜めている。この句では、秋の清澄な空気の中で影を正している故郷の山河が詠われているのだが、一読、自ずから、身辺、遠景とも秋の気配が濃くなる中で、「連山」に向かって佇む作者の胸中も自ずから感じ取れる。
『現代俳句キーワード辞典』(立風書房)には、「こころ」を詠み込んだ例句として、前掲の蛇笏の「くれなゐ」の作のほか、次のような作が例句として掲げられている。
森や谷まも眠るときあかくつらなるこころの雪崩 重信
花に病む汝の心をうべなひぬ 青畝
外套やこころの鳥は撃たれしまま 枇杷男
蛇踏みし心いつまで青芒 石鼎
桐一葉落ちて心に横たはる 白泉
行く秋のこころの枝へ火を移せ 渚男
これらの諸作のうち、蛇笏の句と同様に、自らの心の感触を表現しようとする志向が感じられるのは第四句、第五句だろう。特に第五句の自らの心を見詰める作者の眼差しには、静謐だが底知れない虚脱感がある。
一方、第一句の「こころの雪崩」や第六句の「こころの枝」は、その時々の作者の心の感触の表現というよりも、隠喩を駆使して固有の詩的空間を創り出そうとの志向が明らかである。