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俳句の庭

  • 片足で立ちたる虹よ戦場よ 春田千歳

    4月 18th, 2025

    「虹」は雨の後、太陽と反対側の空に現れるアーチ状の七色の帯。夏の驟雨の後などに現れることが多いので夏の季語。虹がアーチの片側だけ見えるのが「片虹」。

    掲句は世界の各地で起きている戦争を詠んだ作品。といっても、特定のどこかの戦火の地を念頭にしたものではないだろう。今、作者の眼前にあるのは片虹。それを「片足で立ちたる虹」と表現した。その措辞は、自ずから、戦禍で片足を失った傷病兵の姿を連想させる。眼前の片虹から「戦場」へのイメージの飛躍が実感をもって読者に伝わるのは、その措辞の効果だろう。戦争に対して詩は無力だが、それでも詠まずにはいられないとの思いが、掲句の「よ」の詠嘆に表れている。『俳壇』2025年5月号。

  • 雪を掻く土の香の立つところまで 名村早智子

    4月 17th, 2025

    「雪掻(ゆきかき)」はシャベルやこすきなどを使って積もった雪を掻きのけること。今は除雪車などで広い範囲の除雪が出来るようになったが、路地や庭先などの「雪掻」の作業は雪国では日常的に行われている。

    掲句は冬季の「雪掻」を詠んだ作品。シャベルが雪の底の土にとどいたとき、さっと懐かしい土の匂いがしたという。それは雪に埋もれて暮らす人々にとって、春がそこまで来ていることを思わせる匂いだろう。雪国人の生活実感が過不足なく詠み込まれている。『俳壇』2025年5月号。

  • 蘆の若葉

    4月 17th, 2025

    蘆(あし)の芽が伸びて若葉になったもの。蘆の生長は早く、春先の角のような芽はどんどん丈を伸ばし、晩春の頃青々とした若葉となる。木々の若葉は夏になってからだが、蘆に限らず「草若葉」は春の季語。青々とした蘆の若葉が露を光らせながら初々しく風にそよぐ様は、夏の近いことを思わせる。

  • 遅日光

    4月 17th, 2025

    「遅日(ちじつ)」は春の日(day)の日暮れが遅いことを表す時候の季語。実際には夏至が一番日暮れが遅いが、冬の日暮れが早いので、春の訪れとともに日暮れの遅さがひとしお印象深く感じられる。そして、その頃の中々沈まない太陽やその日差し(sun)を「遅日光(ちじつこう)」という。歳時記に独立の季語としては出ていないが、「遅日」の例句の中には、「遅日光」を用いた句も散見される。「薄暑光」「晩夏光」などと同様、時候等の季語と「光」を組み合わせた俳句特有の表現の一つ。四季折々の「光」に対する日本人の感性の細やかさが思われる。

  • 新樹光鳥影を追ふ声を追ふ 野木桃花

    4月 16th, 2025

    「新樹」は若葉におおわれる初夏の木立をいう。「新樹光」は「新樹」の若葉の照り返しのこと。周囲はみずみずしい明るさに満ちる。

    掲句は初夏の木々の光が、木々を訪れた鳥の姿やその声を追っていると詠む。鳥たちは木々を塒にしたり若芽を食べに訪れたりして、木々と関わり深く生活しているが、木々の方でも、そうした鳥たちに慈愛の眼差しを注いでいるのかも知れない。この句は「新樹光」を擬人化しているが、作者が鳥影やその声を追っているとも読める。どちらが正しいというのではない。どちらにも読める曖昧さが俳句表現の醍醐味。『俳壇』2025年5月号。

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