野鶲は、本州中部以北の高原や北海道の草原で繁殖する雀ほどの大きさのツグミ科の夏鳥。5~7月頃、草の根元などに巣を作る。
掲句は、標高1400メートルほどの長野の高原での作品。牧草地の縁などで、猛々しく伸びた草を掴んでしきりに囀る野鶲の姿が見られた。近づくと遠くの草に移るが、それ程人を恐れるでもなく、いつまでも自分の縄張りの中で鳴いていた。東の秩父連山が青々と暮れかかっていた。平成10年作。『河岸段丘』所収。
野鶲は、本州中部以北の高原や北海道の草原で繁殖する雀ほどの大きさのツグミ科の夏鳥。5~7月頃、草の根元などに巣を作る。
掲句は、標高1400メートルほどの長野の高原での作品。牧草地の縁などで、猛々しく伸びた草を掴んでしきりに囀る野鶲の姿が見られた。近づくと遠くの草に移るが、それ程人を恐れるでもなく、いつまでも自分の縄張りの中で鳴いていた。東の秩父連山が青々と暮れかかっていた。平成10年作。『河岸段丘』所収。
青梅雨(あおつゆ)は、梅雨の傍題。雨に濡れて生き生きとした草木の緑が見えてくる色彩感豊かな言葉だ。雨が降り続き、周囲の草木は日に日に繁茂して嵩を増していく。
掲句は、埼玉県北部出身のある句友の幼少時の思い出話が元になってできた作品。蛇を生け捕りにして捨てに行くところには、田の神や弁財天の化身として神聖視されてきた蛇を畏れる心が表れているだろう。農家の人たちの間に根強く残っていた信仰の名残ともいえる。近頃は、蛇を見掛ける機会は大分減ってしまったが、梅雨どきの森の暗がりには、蛇の気配を感じることがある。平成18年作。『春霙』所収。
蠅叩、蠅捕紙、蠅捕リボン、蠅捕瓶などの蠅を捕まえる器具や道具類は、いずれも夏の季語。蠅が人間の生活圏で目につかなくなるにしたがい、以前身近にあったこれらの諸道具も姿を消した。だが、厩や牛舎では、これらの諸道具はまだまだ活躍している。
掲句は、牧場の酪舎を覗いたときの作品。昼なお暗い酪舎の中には、出産をひかえた牝牛の暑苦しい息が充満しているように思えた。大儀そうに腹這う牛の顔や尻尾に、無数の虻や蠅がたかっていた。暗がりに蠅取リボンが垂れていた。平成22年作。
夏野といえば、猛々しく草が生い茂る広々とした野原と真っ青な空、湧き立つ雲の白さが思い浮かぶ。夏野はまた人里に通う大地であり、放牧や草刈りなど人々の生活に結びつく場でもある。
掲句は高麗の巾着田での作品。耕作地の隣に馬場があり、競走馬を退役したような栗毛や葦毛の老い馬が何頭か飼われていて、棒杭に縄で繋がれて草を食んでいた。馬場といっても客はほとんどおらず、私が佇むと不審そうに私の方を見ては、不機嫌に鼻を鳴らした。折から日照雨が辺りの草を鳴らして通り過ぎて行った。平成18年作。『春霙』所収。
暑い夏は涼しさに敏感になり、涼しさを求めることから、「涼し」は夏の季語になっている。と同時に、「月涼し」「星涼し」「涼風」「朝涼」「晩涼」など、月や星や朝晩の涼しさを楽しむ。いずれも夏の季語だ。
掲句は、父母が健在だった頃、家人が寝静まった夜半に一人起きていて、ふと思い浮かんだ作品。二階の部屋にいて、しんと寝静まった階下の父母の部屋に耳を澄ませた。いつしか、父母は老境に、私は壮年の働き盛りになっていた。平成10年作。『河岸段丘』所収。