断捨離は、モノへの執着を捨て不要なモノを減らすことにより、生活の質の向上・心の平穏・運気向上などを得ようとする考え方のこと。やましたひでこ氏が自著の中で提案した言葉だが、今ではすっかり一般用語として定着した。
掲句は、夏を迎えるに当たって、今年こそ身辺のモノを整理して身軽になりたいと、内心ひそかに決心したことを句にしたもの。過去から積もりに積もった、家の収納スペースを上回るモノを何とかしたいと常々思っていた。令和5年作。
断捨離は、モノへの執着を捨て不要なモノを減らすことにより、生活の質の向上・心の平穏・運気向上などを得ようとする考え方のこと。やましたひでこ氏が自著の中で提案した言葉だが、今ではすっかり一般用語として定着した。
掲句は、夏を迎えるに当たって、今年こそ身辺のモノを整理して身軽になりたいと、内心ひそかに決心したことを句にしたもの。過去から積もりに積もった、家の収納スペースを上回るモノを何とかしたいと常々思っていた。令和5年作。
鱧は関西方面で主に賞味されていて、産卵前の6月下旬から1か月ほどが旬。丁度祇園祭や天神祭の頃であることから祭鱧とよばれる。夏の京都・大阪の味覚を代表するものである。
掲句は、湯引きした鱧の、微かに紅を含んだ白身の美しさを表現しようとして作った作品。祭の頃の京都・大阪の活気を想像してもらえれば食味も増すだろう。平成28年作。
俳句で「祭」といえば、春祭・秋祭と区別して、夏に行われる祭のこと。疫病や水害その他の災厄からの加護を祈るものが多い。賀茂祭、神田祭など、祭一般とは別に季題として立てられている祭もある。
掲句は、5月中旬に行われる三社祭の祭り気分を味わおうと、浅草神社や隅田川の辺りを散策したときの作品。祭が近いこともあって、街の履物屋のショーウインドウ越しには、雪駄や下駄、白足袋などが陳列され、それらを眺めながら、祭の当日に神輿を担ぐ祭衆の熱気を思い描いた。平成22年作。
月見草と待宵草は、江戸時代後期から明治時代初期に日本へ渡ってきたが、待宵草の方が繁殖力が強く各地で野生化したため、現在山野で目につくのは待宵草の方で、本来の月見草を見る機会は少ない。一般的に、待宵草が月見草と呼ばれるようになっている。
掲句も、荒れ地などどこにでも見掛ける待宵草を句にしたもの。水の匂いとでも形容できそうな月見草の微かな香りを胸に吸い込みながら、水が豊かな星に生まれて今を生きている不思議を思った。令和元年作。
山法師は初夏の頃花を咲かせるが、白い花と見えるのは4枚の総苞片であり、その芯の球状に密生する緑黄色の部分が花である。だが、植物学的な説明はともかく、山法師の花といえば、満目の緑の中で咲く清潔感のある真っ白い花との印象が強い。
この句も、山法師の花のそうした印象を活かそうとした作品。子育て中には様々な苦労があった長男も、結婚して二児の父となった。よくここまで辿り着いたとの安堵の思いもあった。令和3年作。