鯵刺はカモメ科アジサシ属の鳥。多くの鯵刺にとって日本は渡りのルートにあり、春と秋に旅鳥として全国各地で観察される。一方、小鯵刺は本州以南に夏鳥として渡ってきて繁殖する。海岸や川などの水辺に生息し、狙いをつけて水にダイビングして魚をとらえる。川の近くであれば、関東の内陸部でも見ることができる。
掲句は「利根大堰(とねおおぜき)」をはるかに望んでの一句。折から利根川流域一帯は暑さに霞んだように見え、空高く翔ける鯵刺の鋭い声が夏の到来を告げているように聞こえた。平成17年作。『春霙』所収。
樟若葉は、諸々の木々の若葉の中でも、初夏の頃神社や公園で目を惹くものの一つだ。盛り上がる雲のような樹形がてらてらした新葉に覆われる様は、季節の生命力を思わせる。
掲句は2歳になる初孫の男の子を詠んだもの。孫の句は甘くなりがちで難しいとよく言われるので、「孫」と言わずに、「嬰(やや)」と一般的な表現にした。笑顔、悪戯をしている顔、泣きべそをかいている顔、叱られてしょげている顔、別れるときの寂しそうな顔と、家に遊びに来るたびに表情が豊かになってきた。令和5年作。
夏茱萸は晩春に花が咲き、初夏に実をつける。赤色に熟した実を口に入れるとほのかな甘みがある。太平洋側や四国の山地にごく普通に生えている落葉低木。
掲句は、初夏に実をつけた夏茱萸に、とどまらぬ月日の流れを感じてできた一句。昨年も一昨年も山歩きの途中で見つけては食べていた夏茱萸。季節が巡ってきて、その実が今年も熟れて食べ頃になっている。そのひそやかな紅色は、過ぎ去った月日のあれこれを思い起こさせる。令和5年作。
「蝉の羽化」は「蝉生る」(夏季)の傍題として扱っていいだろう。蝉の幼虫は、何度か脱皮を繰り返した後、地中から出て、翅のある成虫になる。羽化したては白っぽく翅も縮れているが、やがて我々の見知っている蝉の姿になる。
掲句は、何年か前、長野の山中で偶然蝉の羽化を見る機会があって、その青白い微光を纏った姿が目に焼き付いていてできた作品。その蝉に月明かりが差していたかどうかは、記憶が定かでないが、確かに蝉の命の誕生を祝福するような清らかな光だった。明け方の山中の冷気が辺りを包んでいたように思う。令和4年作。
南風は夏に吹く南寄りの風。南風といえば、穏やかな晴天を吹くやや湿った風をイメージする。
掲句は、当時壮年の働き盛りで、しかも人に言えない悩みを密かに抱えていた時期の作品。上五の「南風や」から、心を解き放つ広々とした海原を思い浮かべてもらいたい。何ら具象的な描写が無く、願望を述べただけの作品だが、心の記念碑として、ときにはこんな作品があってもいいと思っている。平成22年作。