秋高しは、秋の大気が澄み、晴れわたった空が高く感じられること。
掲句は、祭が近づいてくる10月初旬、秋晴れの空に響く祭囃子の谺を耳にしての一句。祭本番に備えて、笛や太鼓の練習が始まっているのだ。地元には、重松流祭ばやしという囃子の流派があり、各地域の囃子連や保存会の人たちによって伝承されているのだが、伝承は口伝(くでん)によるもので、楽譜などはないという。平成27年作。
秋高しは、秋の大気が澄み、晴れわたった空が高く感じられること。
掲句は、祭が近づいてくる10月初旬、秋晴れの空に響く祭囃子の谺を耳にしての一句。祭本番に備えて、笛や太鼓の練習が始まっているのだ。地元には、重松流祭ばやしという囃子の流派があり、各地域の囃子連や保存会の人たちによって伝承されているのだが、伝承は口伝(くでん)によるもので、楽譜などはないという。平成27年作。
秋風といっても、暑さが残る初秋の頃の風から、晩秋の頃の日ごとに冷気を加えてゆく風まで、その趣は幅広い。
掲句は武蔵国分寺跡を訪れたときの作品。真っ平らな芝生のところどころに金堂の礎石だけが遺されていた。その一つに腰掛けて、千年前の光景を想像した。鵙が、近くの木の天辺で声を放った。目に見えない筈の風が見えるように感じられるほど、遠くまで空気が澄み切っていた。平成18年作。『春霙』所収。
竹の春は、筍の生える春から初夏にかけて勢いが衰えた竹が、秋になると元気を取り戻し、緑鮮やかな色合いを呈すること。
掲句は、林芙美子(1903-1951)が晩年の10年間を過ごした林芙美子記念館(新宿区中井)を訪れたときの作品。庭を巡った後、生前のままの雰囲気を保っている書斎に足を踏み入れたとき、ふと、芙美子その人がそこに座って執筆を続けているような錯覚を覚えたのだった。平成21年作。『春霙』所収。
蕎麦には、初夏に蒔き晩夏に開花するもの(夏蕎麦)と、立秋前後に蒔き秋に開花するもの(秋蕎麦)があるが、俳句では秋の季語。白又は淡紅色の五弁の小花が密に総状に咲く。
掲句は秩父の丘陵地を歩いたときの作品。いくつかの札所を巡った記憶もある。秋の日は西に傾いて、間もなく暮れようとしていた。雲が、一日の温もりを集約したかのように、日差しを含んでほっこりと浮かんでいた。平成15年作。『河岸段丘』所収。
秋は、春と並んで旅に好適な季節だ。空は高く、水も大気も澄み、田畠や山野は実りの季節を迎える。紅葉の美しさに誘われるのもこの時季だ。
掲句は今まで経験してきた長旅や日帰りの小旅行を含め、さまざまな秋の旅が心に残した印象を言い留めた作品。特定の旅行を念頭にしている訳ではないが、かつて千曲川沿いを源流へと遡ったときのことが脳裏にあったようだ。平成21年作。『春霙』所収。