「師走」「極月」「臘月」などはいずれも陰暦12月の異称だが、陽暦12月の意にも使われる。年の暮が迫ってくる心せわしさと一年を振り返る思いが重なる。
掲句は、歳晩の心の在りようを表現しようとした作品。多事多忙だった一年も終わりを迎えようとしているこの時期、今年も無事に過ごすことができたとの安堵感があったことは確かだが、やり残したこと、悔やまれることに対するさまざまな思いが入り混じるのも紛れもないわが心の在りようだ。平成27年作。
「師走」「極月」「臘月」などはいずれも陰暦12月の異称だが、陽暦12月の意にも使われる。年の暮が迫ってくる心せわしさと一年を振り返る思いが重なる。
掲句は、歳晩の心の在りようを表現しようとした作品。多事多忙だった一年も終わりを迎えようとしているこの時期、今年も無事に過ごすことができたとの安堵感があったことは確かだが、やり残したこと、悔やまれることに対するさまざまな思いが入り混じるのも紛れもないわが心の在りようだ。平成27年作。
初大師は、弘法大師のその年初の縁日で正月21日。東京近辺では川崎大師が有名だ。
掲句は、正月3日に川越喜多院に詣でたときの作品。こちらは慈恵大師の縁日。正月3日に示寂したのでその日が縁日になっている。弘法大師の縁日である初大師とは日が異なるが、こちらも初大師と称して差し支えないだろう。その日、喜多院の境内は達磨市などが立って、夜になっても正月の華やいだ雰囲気が辺りを占めていた。平成30年作。
「初鶏」は元日の暁に鳴く鶏のこと。元日の夜明け、まだ暗いうちに初鶏のこえを聞くと、改まった清々しい気分になる。
掲句は初詣に早暁の電車に乗って秩父方面に出掛けたときの一句。とある駅で停車したとき、車窓の闇の中で、学校か寺社で飼っているらしい鶏が時を作っていた。鶏鳴を契機に、新たな年が流れ出したように感じられた。平成29年作。
年が改まっての感慨を託す季語には、「去年今年」、「新年」、「年立つ」などいろいろある。時の流れの迅速を思うのもこの時季だ。
掲句は大晦日から元旦にかけての感慨を句にしたもの。前年の10月に母が亡くなり、年が去り年が来る慌ただしさのなかで、無常迅速という言葉がしきりに思い起こされた。月日の歩みは、急流にのって流れ去っていく水のようなものではないだろうか。令和2年作。
俳句で「七日」といえば、正月七日のこと。五節句の一つとして、七種粥を祝う慣習がある。「人日」「人の日」ともいう。
掲句は勤め先の周辺を昼休みに散歩していた頃の作。年明けの7日といえば、正月気分は抜けないものの、既に通常の業務が始まっていた。とはいえ、街中にはどことなく新たな年を迎えた華やぎが残っていた。「海の鳥」は実際にはカモメで、隅田川から少し離れて、ビル街を巡っている姿が見られた。平成30年作。