「雲海」は山の上から見下ろした時に、雲の連なりが海原のように見える光景のこと。「登山」とともに夏の季語になっている。
掲句は、明け方起きて、標高1500メートルほどの八ヶ岳の東側の中腹から下方に広がる雲海や秩父連山を眺めたときの一句。右手に視線を延ばすと甲斐駒など山梨県の山々が、左手に視線を延ばすと、佐久平を隔てて浅間山が見渡せた。眼下の雲海の下には、南牧村の開拓地が広がっている筈であった。令和6年作。
「雲海」は山の上から見下ろした時に、雲の連なりが海原のように見える光景のこと。「登山」とともに夏の季語になっている。
掲句は、明け方起きて、標高1500メートルほどの八ヶ岳の東側の中腹から下方に広がる雲海や秩父連山を眺めたときの一句。右手に視線を延ばすと甲斐駒など山梨県の山々が、左手に視線を延ばすと、佐久平を隔てて浅間山が見渡せた。眼下の雲海の下には、南牧村の開拓地が広がっている筈であった。令和6年作。
「甚平(じんべい)」は腰を覆うぐらいの丈で、男性や子供が着る夏の簡易服。
掲句の対象は湯上りの甚平を着た二人の孫。初孫は男の子、二人目は女の子で、当時二歳と一歳。たまに家に泊まりにくると、悪戯盛りなので此方はへとへとになる。孫を詠んだ句に佳句はないと言われるが、それでも時には詠んでみたいと思う。「孫」という言葉を使わないことで、甘さが抑えられていれば幸いだ。令和5年作。
秋時雨は秋も終わりの頃に降ってはすぐに止む雨のこと。紅葉の季節に降る雨であり、どこか侘しい感じがある。一雨ごとに冬が近づいてくる。
掲句はある考古館のガラスケースの中に展示されていた土偶が契機になってできた作品。長野の茅野市で出土した縄文時代後期の土偶で、脚が太いどっしりとした姿。生命を育む女性の神秘と力を表現したものという。数千年の間土中に眠っていて、今、我々の前に姿を現した土偶に、縄文人たちのどのような願いや思いが宿っているのだろうか。令和元年作。
「芋茎(ずいき)」は里芋の茎のこと。赤芋茎、青芋茎、白芋茎の3種類がある。生ものは茹でて酢味噌などで食べたり、乾燥したものは水で戻して煮つけたり、汁の実としたりする。
掲句は自宅のベランダで笊に並べて干す芋茎を詠んだもの。好天の日は日に干し、夜になっても月光の下で干した。干し上がるにつれて濃縮し、芋茎の嵩が減って軽くなっていく実感があった。令和4年作。
「稲架(はさ)」は刈り取った稲の束を天然乾燥させるための木組みのこと。私の近在では、青竹などを使って田の中に組む簡易なものが多い。稲を脱穀して不用になった稲架は、木組みが解かれて取り払われる。
掲句は東村山の北山公園にある田圃の畦を歩いたときの作品。久しぶりに来てみると、あらかたの田圃は稲刈りや脱穀が終わり、稲架も用済みとなってそこに残されていた。稲が無くなった空稲架(からはさ)を、北西からの季節風が吹き抜けた。「故郷(ふるさと)」の語で私が思い浮かべたのは、稲刈りが終わって広々とした関東平野と、晩秋から翌春にかけてこの地を吹きわたる乾びて冷たい風の感触だった。令和5年作。