「木の葉」は、冬、地面に落ちてしまった葉、あるいは梢にわずかに残っている枯葉をいう。
掲句は木の葉が頻りに降りかかる初冬の櫟林の道を歩いていての一句。〈吊橋や百歩の宙の秋の風 秋櫻子〉など「十歩」「百歩」を用いた句があるが、歩きながら何かを思ったり考えたりするには「百歩」くらいの距離が要るのではないだろうか。初冬の心地よい冷気の中、ほとんど無心の状態で歩きながら、そんなことを頭に浮かべていた。令和6年作。
「木の葉」は、冬、地面に落ちてしまった葉、あるいは梢にわずかに残っている枯葉をいう。
掲句は木の葉が頻りに降りかかる初冬の櫟林の道を歩いていての一句。〈吊橋や百歩の宙の秋の風 秋櫻子〉など「十歩」「百歩」を用いた句があるが、歩きながら何かを思ったり考えたりするには「百歩」くらいの距離が要るのではないだろうか。初冬の心地よい冷気の中、ほとんど無心の状態で歩きながら、そんなことを頭に浮かべていた。令和6年作。
旧暦2月15日は釈迦が沙羅双樹の下に入滅した日とされ、寺院では新暦の2月15日又は3月15日に涅槃会(ねはんえ)が執り行われる。当日は涅槃図を掲げて法要を営む。涅槃図は、沙羅双樹のもとに横臥した釈迦のまわりを、嘆き悲しむ弟子や動物たちが取り囲んだ図。
掲句は眼前の涅槃図を眺めながら、境内にいた鶯が、笹鳴きのまま涅槃図中の動物たちの中に加わることを想像しての作。まだ春の寒さの残る時季で、鶯はチャッ、チャッという冬の地鳴き(笹鳴き)のままだった。「笹鳴のまま」の措辞に、薄ら寒いその頃の季節感と、若干の諧謔味を効かせたつもりである。平成17年作。『春霙』所収。
「龍太忌」は2月25日。飯田龍太は平成19年のこの日逝去した。平成4年に「雲母」を終刊してから十数年経っていた。山住みの人にとって、本格的な春の到来が待たれる時季に当たる。
龍太忌といえばまだ春の寒さが残る頃で、早朝の川や池には薄氷(うすらい)が張り、昼の陽光に照らされてゆっくりと解けてゆく。その日は、池の薄氷越しにうすうすと魚の影が見えた。冬の間静まっていた水中のコイやフナなどの魚たちも、活動を始めようとする頃だ。釣り好きだった龍太の面影がその魚影と重なった。平成21年作。『春霙』所収。
余寒は寒が明けてからもなお残る寒さのこと。目に見るもの、耳に聞くものに春の兆しはあるものの、依然として骨身に応えるような寒さが続く。
掲句には「ウクライナ侵攻一年」と前書きを付した。戦争の悲惨さについては連日マスコミ報道されているものの、何もできずに自らの生活にかまけて日々が過ぎていく。戦争勃発から一年が経ち、寒々とした夜空の星々に目をさまよわす。無力な自らを省みる思いもあった。令和5年作。
寒梅は寒中に咲く梅全般をいう。寒紅梅は12月頃から咲き始める紅色または淡紅色の梅で、多くは八重咲き。
掲句は眼前の寒紅梅の濃い紅から、「遺志」ということに思いを馳せた作品。その時心の中にあったのは前年に亡くなった飯田龍太のことだが、この句は特定の誰かに限定する必要のない句だと思っている。この世に生きる誰もが、志の一部を果たせないまま亡くなっていく。その思いは言葉にならなくても、伝わる人には無言のままでも伝わるのだと思う。平成20年作。『春霙』所収。