廣瀬直人忌は平成30年3月1日。俳誌『白露』を主宰し、自然詠を本領とする多くの作品を残した。廣瀬家の前庭の南には、今も朴の木が立っている。
掲句は、大きな尖るような芽を掲げている朴の木を見上げていての作品。私の旧師であり、内剛外柔のその柔和な笑顔がふと目に浮かんだ。逝去後3年が経過していた。令和3年作。
廣瀬直人忌は平成30年3月1日。俳誌『白露』を主宰し、自然詠を本領とする多くの作品を残した。廣瀬家の前庭の南には、今も朴の木が立っている。
掲句は、大きな尖るような芽を掲げている朴の木を見上げていての作品。私の旧師であり、内剛外柔のその柔和な笑顔がふと目に浮かんだ。逝去後3年が経過していた。令和3年作。
薄氷(うすごおり)は春先になって薄く張る氷のこと。春になっても、夜間の放射冷却で冷え込んだ朝などに、薄く氷が張ることがある。
掲句は、春まだ浅い頃、近くの疎水べりを歩いていての作品。夜明け前、東の空にはひと際明るい金星が爛々と光を放っていた。その光の粒を見ながら川べりを歩いた。立春を過ぎて川が凍ることは稀になったが、その夜の冷え込みのため、川の澱んでいるところなどは薄く氷が張っていた。令和5年作。
「陽炎」(かげろう)は、麗らかな春の日差しの中で、野中のもののかたちが揺らいで見える現象。空気の層によって温度差が生じ、光が屈折することから、人の目にものが揺らいで見えるのだ。陽春の気分をたっぷり含む季語だが、人の知覚の不確かさ、ひいてはこの世に存在するものの不確かさを暗示する言葉でもある。
掲句は、とある博物館で展示されていた火焔型土器のレプリカを見ていてできた作品。火焔型土器は、縄文土器の一種で、 燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器。外光の差し込まない博物館の一室にいて、ガラスケースの中に置かれたその土器を前にして、ふと戸外の麗らかな日差しを思い浮かべ、そのような日差しの中で煮炊きしている縄文人たちを想像した。平成28年作。
2月25日は、戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した飯田龍太の忌日。依然として寒さは厳しいが、咲き始めた梅に、待ちに待った春の到来を実感する時季でもある。
昼休みに公園の梅を眺めていると、折りからの日差しに誘われたように花虻がどこからか現れて、疎らに咲いた白梅に纏わるように飛びはじめた。空は深々とした碧ひと色。龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだあの「深空」(みそら)だ。「龍太忌の深空」との措辞は、そのとき即座に思い浮かんだのだった。平成28年作。
「魚氷に上る」は七十二候の一つで、立春の第三候。2月の中旬頃に当たる。暖かさでそれまで張り詰めていた氷が割れ、魚が氷の上に躍り出るという。多分に空想を含んだ季語だが、空想だけではない、実景の裏付けが感じられる。ワカサギ釣りなどでは、こうした情景を目にすることもあるのではないか。氷の上に跳ねる銀鱗は眩いばかり。折りから吹き過ぎる風の光も、明るさと冷たさを同時に感じさせて早春のものだ。
掲句は、この季語が描き出す情景をあれこれと想像していて生まれた作品。時々訪れる長野の結氷湖の光景も、その時思い浮かべていたと思う。平成22年作。