「余寒」は、暦の上では寒が明けて春になっているものの、まだ残る寒さのこと。
掲句には「ウクライナ侵攻一年」との前書きがある。前年の侵攻開始からはかばかしい進展がないまま1年を経過し、出口のない思いにとらとらわれることも多かった。同じ地球上にこのような悲惨な戦禍を被っている国があることを思いながら、冷え冷えとした2月の星空に目をさまよわせた。令和5年作。『俳句』2023年6月号。
「余寒」は、暦の上では寒が明けて春になっているものの、まだ残る寒さのこと。
掲句には「ウクライナ侵攻一年」との前書きがある。前年の侵攻開始からはかばかしい進展がないまま1年を経過し、出口のない思いにとらとらわれることも多かった。同じ地球上にこのような悲惨な戦禍を被っている国があることを思いながら、冷え冷えとした2月の星空に目をさまよわせた。令和5年作。『俳句』2023年6月号。
雛祭は、3月3日の節句に、女の子の健やかな成長を願って行われるお祭。雛人形を飾り、白酒や雛あられをふるまって祝う。
掲句は雛祭を迎える頃の寒暖定まらない季節感を詠んだ作品。関東近辺は立春を過ぎて雪が降ることが多い。大方の雪は降って2、3日で大方融けてしまうが、畑や川原などには根雪となっていつまでも残っている。春になっても、吹く風が冷たく頬を刺すのはそのためだ。しかし、それらの雪も、雛祭の頃の雨に濡れて消えてゆく。平成26年作。
「雀隠れ」は春になって萌え出た草が生長して、雀の姿を隠す程に伸びたさまをいう。春もたけなわの、すくすくと成長した草々を思い浮かべたい。
掲句は東日本大震災の発災直後の不安感を作品にしたもの。放射能を含んだ塵が降ってくるなどと噂される中家の近くを歩いても、なぜか雀の影すら見えなかった。日頃頼みにしているこの大地も、この世そのものも、盤石なものではないことを思い知らされた日々だった。平成23年作。
「棒鱈(ぼうだら)」は「干鱈」の傍題で春の季語。鱈を三枚におろして固く素干しにしたもの。
掲句は築地場外市場で見かけた光景を句にしたもの。干物屋では、煮干しなどが並んだ上に、風に捩れたような形をした棒鱈が、銭入れ籠とともに店先に吊ってあった。北国の荒々しい風土の爪痕が、その棒鱈に残されているように見えた。平成22年作。
春は最も鳥の目につく季節。草木が萌えはじめ、春の明るい光が野山に満ちてくると、いろいろな鳥が姿を見せるようになる。そんな中で鶫(つぐみ)は秋に群れをなして日本に渡ってくる鳥の一つで、春が深まる頃まで日本に留まる。単に「鶫」といえば秋の季語であり、冬や春に見かける鶫を詠む場合は、「冬鶫」「春鶫」などと表現することが多い。
掲句は麗らかな日が降り注ぐ畑で土中の虫などを漁っている鶫を詠んだ作品。鶫は冬鳥として日本に渡ってくるが、すっかり馴染んだ日本の地に溶け込むようにして日々を過ごす春の鶫には、捨てがたい趣がある。その声は、残り少ない日本での日々を惜しんでいるようでもある。平成31年作。