盛夏の頃、北太平洋高気圧から吹き出す風が高温と湿気をもたらし、日本列島はたびたび耐え難い暑さに見舞われる。盆地や内陸部の暑さはひとしおだ。
掲句は、山梨一宮の広瀬直人主宰宅を訪問したときのことが契機になった一句。折からの好天の下、先生の自宅の周辺を散策した。歓談の中で、葡萄畑の彼方の暑にけぶる山裾を指さしながら、〈あそこが扇状地だよ。〉と教えてくれたことが、今でも思い起こされる。甲府盆地の夏の暑さは手強いが、果樹農家にとっては秋の実りを約束してくれる暑さでもある。平成25年作。
盛夏の頃、北太平洋高気圧から吹き出す風が高温と湿気をもたらし、日本列島はたびたび耐え難い暑さに見舞われる。盆地や内陸部の暑さはひとしおだ。
掲句は、山梨一宮の広瀬直人主宰宅を訪問したときのことが契機になった一句。折からの好天の下、先生の自宅の周辺を散策した。歓談の中で、葡萄畑の彼方の暑にけぶる山裾を指さしながら、〈あそこが扇状地だよ。〉と教えてくれたことが、今でも思い起こされる。甲府盆地の夏の暑さは手強いが、果樹農家にとっては秋の実りを約束してくれる暑さでもある。平成25年作。
「葭切(よしきり)」はスズメ目ヒタキ科の夏鳥。初夏の頃南方から飛来して全国の水辺の葦原で営巣する。水辺の葦に止まって「ぎょっぎょっ」と大きな声で鳴くので「行々子(ぎょうぎょうし)」との別名もある。
掲句は越谷の元荒川周辺を訪れたときの作品。越谷は、加藤楸邨の俳人としての出発点となった地で、古利根や元荒川など水辺の多い土地柄でもある。度々流域を替えた荒川の蛇行の跡が、池になって残っていたりする。夏の烈日を遮るもののない水辺の葦原で、葭切が頻りに鳴いていた。坂東の暴れ川の名残がそこにあった。平成18年作。『春霙』所収。
「驟雨(しゅうう)」は、夏の日の午後などに、急に降り出して大地に水しぶきを上げた後、しばらくすると止んでしまうにわか雨のこと。ときに雷をともなう。降り方は豪快で、止んだ後は涼しい風が吹きわたる。
掲句は甲斐小泉の信玄棒道を歩いたときの作品。信玄棒道は単に棒道(ぼうみち)ともいい、かつて武田信玄が北信濃攻略のために造った軍用道路。棒のように道がまっすぐ伸びていることからこの名がある。現在は自然散策路で、乗馬コースにもなっている。その日、実際に雨に遭った訳ではない。棒道に残っている馬蹄の跡は、戦国時代の武田の騎馬隊の行き来を思い起こさせた。平成15年作。『河岸段丘』所収。
「泰山木(たいさんぼく)」は明治初期に米国より渡来したモクレン科の常緑高木。白木蓮に似た純白の大きな花を初夏に咲かせる。
掲句は胸像の真上に高々と咲いた泰山木の花を詠んだ作品。強い芳香が辺りを包んでいた。その時〈ロダンの首泰山木は花得たり 源義〉の句が脳裡にあったことは否定できない。あれこれ小細工をするのではなく、泰山木のように単純で線の太い句を詠もうと心掛けた。平成29年作。
「入梅」は梅雨に入ること。暦の上では太陽の黄経が80度に達した日で、立春から127日目の6月11日頃にあたる。以後30日間ほどが梅雨。
掲句は近くの公園内の樹木を詠んだ作品。新緑の時季を過ぎると、一時は眩い光に満ちていた木々は日を追うて暗さを増してくる。新緑の鮮やかさに目を奪われたのはほんの一時で、木々は茂るとともに、奥の方に闇をため込んでいるような趣になる。梅雨に入る頃、「樫」と「椎」の闇はいずれ劣らぬ深さとなる。平成26年作。