「夏兆す」は「夏めく」の傍題。身の回りのものや生き物、その他生活のあれこれに夏らしい趣が増してきたと感じられること。
掲句は、銀座の鳩居堂で催されている書展の展示を見て回ったときの一句。展示されてい色紙、軸等の中に、荒縄をこすりつけたような、とでも形容するしかない荒々しい書体の作品があった。意味を伝達することを放棄したその墨痕の勢いに、夏の到来を感じた。平成27年作。
「夏兆す」は「夏めく」の傍題。身の回りのものや生き物、その他生活のあれこれに夏らしい趣が増してきたと感じられること。
掲句は、銀座の鳩居堂で催されている書展の展示を見て回ったときの一句。展示されてい色紙、軸等の中に、荒縄をこすりつけたような、とでも形容するしかない荒々しい書体の作品があった。意味を伝達することを放棄したその墨痕の勢いに、夏の到来を感じた。平成27年作。
樟若葉は、諸々の木々の若葉の中でも、初夏の頃神社や公園で目を惹くものの一つだ。盛り上がる雲のような樹形がてらてらした新葉に覆われる様は、季節の生命力を思わせる。
掲句は2歳になる初孫の男の子を詠んだもの。孫の句は甘くなりがちで難しいとよく言われるので、「孫」と言わずに、「嬰(やや)」と一般的な表現にした。笑顔、悪戯をしている顔、泣きべそをかいている顔、叱られてしょげている顔、別れるときの寂しそうな顔と、家に遊びに来るたびに表情が豊かになってきた。令和5年作。
夏茱萸は晩春に花が咲き、初夏に実をつける。赤色に熟した実を口に入れるとほのかな甘みがある。太平洋側や四国の山地にごく普通に生えている落葉低木。
掲句は、初夏に実をつけた夏茱萸に、とどまらぬ月日の流れを感じてできた一句。昨年も一昨年も山歩きの途中で見つけては食べていた夏茱萸。季節が巡ってきて、その実が今年も熟れて食べ頃になっている。そのひそやかな紅色は、過ぎ去った月日のあれこれを思い起こさせる。令和5年作。
「蝉の羽化」は「蝉生る」(夏季)の傍題として扱っていいだろう。蝉の幼虫は、何度か脱皮を繰り返した後、地中から出て、翅のある成虫になる。羽化したては白っぽく翅も縮れているが、やがて我々の見知っている蝉の姿になる。
掲句は、何年か前、長野の山中で偶然蝉の羽化を見る機会があって、その青白い微光を纏った姿が目に焼き付いていてできた作品。その蝉に月明かりが差していたかどうかは、記憶が定かでないが、確かに蝉の命の誕生を祝福するような清らかな光だった。明け方の山中の冷気が辺りを包んでいたように思う。令和4年作。