「師走」「極月」「臘月」などはいずれも陰暦12月の異称だが、陽暦12月の意にも使われる。年の暮が迫ってくる心せわしさと一年を振り返る思いが重なる。
掲句は、歳晩の心の在りようを表現しようとした作品。多事多忙だった一年も終わりを迎えようとしているこの時期、今年も無事に過ごすことができたとの安堵感があったことは確かだが、やり残したこと、悔やまれることに対するさまざまな思いが入り混じるのも紛れもないわが心の在りようだ。平成27年作。
「師走」「極月」「臘月」などはいずれも陰暦12月の異称だが、陽暦12月の意にも使われる。年の暮が迫ってくる心せわしさと一年を振り返る思いが重なる。
掲句は、歳晩の心の在りようを表現しようとした作品。多事多忙だった一年も終わりを迎えようとしているこの時期、今年も無事に過ごすことができたとの安堵感があったことは確かだが、やり残したこと、悔やまれることに対するさまざまな思いが入り混じるのも紛れもないわが心の在りようだ。平成27年作。
「冬深し」は一年で寒さの最も極まる時期のこと。積もった雪や蕭条とした枯色の山野、厚いコートに身を包む人々など冬真っ盛りの情景の中で、春が待たれる日々でもある。
掲句は筆を執っている自らの動作を思い返しての作。書道は月一回ほど義姉の家に通っていた。「起筆」は、書道用語で紙面に筆の穂が接して送筆に移るまでの動きのこと。起筆の時、一呼吸置くことが大事だと教えられた。その僅かな一呼吸の間にも、冬の深まりがひしひしと感じられるような寒中のことだった。平成31年作。
冬至(12月22日頃)を過ぎると、日一日と日照時間が延びて昼が長くなってくる。1月も半ばを過ぎれば、夕暮時の明るさや日差しの暖かさに、春が近いことを実感する。
掲句は上野動物園で猛禽舎の前に佇んでの一句。狭い檻の中で羽ばたくこともままならない鷲(わし)が、止まり木を横歩きして気を紛らせていた。冬も終わりの暖かい日だった。平成24年作。
葛湯は、葛粉に砂糖を加え熱湯を注いで攪拌したもの。糊状の透明の飲み物で、滋養もあり体が温まることから、昔から人々に愛飲されてきた。
掲句は冬の最中、熱湯を注いだ葛湯に息を掛けて冷まそうとしているとき、ふと国境で分断された国のことを思い浮かべての作。かつて一つの国に属していた人々が、国境が分断されたため自由に行き来ができなくなったり、離れ離れになってしまうといった悲劇が今なお続いている。昨今の国際情勢には戦争を含め胸を痛ませることが多い。平成26年作。
冬芽(冬木の芽)は、樹木や多年草に生じ、越冬する芽のこと。鱗片葉で覆われたり、密生した毛で保護されたりして、冬の寒気や氷雪に耐える。落葉樹が落葉すると、俄かに冬芽が目につくようになる。
掲句は初孫誕生(令和2年12月6日)に際しての作品。言葉が始まる前の嬰児だが、ふと、ものを言いたそうにしているように感じられた。「冬芽立つ」に、この子の健やかな成長を願う思いを込めた。令和2年作。