「龍の玉」はユリ科の多年草ジャノヒゲの実のこと。山中の暗い林床に自生するほか、庭園などの木蔭に植えられる。冬、株元にコバルト色の実が生る。
掲句は高麗王廟での作品。この王廟は、7世紀に日本へ渡来した高句麗の王族高麗王若光の墓とされ、日高市の聖天院にある。石を重ねただけの素朴な石塔を眺めながら、渡来の民がこの地に根付いた歳月の永さを思った。王廟の縁には、ジャノヒゲが植えられてあった。平成11年作。『河岸段丘』所収。
「龍の玉」はユリ科の多年草ジャノヒゲの実のこと。山中の暗い林床に自生するほか、庭園などの木蔭に植えられる。冬、株元にコバルト色の実が生る。
掲句は高麗王廟での作品。この王廟は、7世紀に日本へ渡来した高句麗の王族高麗王若光の墓とされ、日高市の聖天院にある。石を重ねただけの素朴な石塔を眺めながら、渡来の民がこの地に根付いた歳月の永さを思った。王廟の縁には、ジャノヒゲが植えられてあった。平成11年作。『河岸段丘』所収。
黍はイネ科の穀物で、秋に収穫される五穀の一つ。古くから日本で栽培されてきた。丈が高く、夏から秋にかけて花を咲かせる。
掲句は八ヶ岳東麓の野辺山高原での作品。乳搾り体験や乗馬もできる観光牧場を訪れた。酪舎の暗がりに扇風機が回り、母牛が重たげな身を横たえていた。窓の外の黍畑を吹く爽やかな風とは対照的に、酪舎内には牛の臭いに加え、暑さと暗さが充満していた。平成11年作。『河岸段丘』所収。
「寒日和」は厳寒中の晴天のこと。「寒晴」ともいう。寒の入りから節分までの約30日間の「寒」の時期を中心に、厳しい寒さが続く。太平洋側では、晴天が続くことが多い。
掲句は、桜田通り沿いのプラタナスを詠んだもの。植えられたのは昭和初期。関東大震災からの復興のシンボルとしての意味合いもあったようだ。夏に茂らせる瑞々しい緑の葉もいいが、葉を落としきった冬の姿も捨てがたい。その瘤の多いごつごつした幹には、手で触れてみたくなるような硬質の存在感がある。平成7年作。『河岸段丘』所収。
「甘藍(かんらん)」は、一般的にはキャベツと呼ばれるアブラナ科の野菜。明治以降にヨーロッパより導入され、全国で栽培されている。中心部の葉はぎっしりと重なって球状をなす。
掲句は八ヶ岳東麓の野辺山高原での作品。ここの農業は、冷涼な気候を活かした高原野菜と酪農。標高の高い寒冷地なので、キャベツやレタスの苗の植え付けが始まるのは6月頃で、収穫作業は10月初旬まで続く。その間は盆休みも無いようだ。キャベツの収穫は家族総出で、キャベツを捥いだり、段ボールを組み立てたり、箱詰めしたり、積み込んだりする作業を分担してやっていた。夏の暑い盛りなどには、トラックの幌の陰などで休息していることもあった。「きしきし」という擬音語で、キャベツの質感が表現できていたら幸いだ。平成7年作。『河岸段丘』所収。
「息白し」は、気温が低い冬の朝などに、吐く息に含まれる水蒸気が冷やされて白く見えること。
掲句は奥武蔵の原木場での所見。とある無人駅の前に、スギやヒノキの丸太が山積みになり、黒いジャンパーを着込んだ男たちが小さな手帳を手に糶(せり)の最中だった。この辺りの材木は西川材と称する地域のブランド材。江戸時代には、この地域の木材を筏で江戸まで流送していたという。平成6年作。『河岸段丘』所収。