かつて飯田龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだ「深空」(みそら)は、冬から春先に梅が咲く頃までの深々とした青空であり、春が深まるにつれて、常に薄雲がかかったような空となる。また、澱のように漂っている薄雲が、徐々に分厚くなってきて、いつしか空全体を覆って雨を降らすこともある。春は天気の移り変わりが早い。

かつて飯田龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだ「深空」(みそら)は、冬から春先に梅が咲く頃までの深々とした青空であり、春が深まるにつれて、常に薄雲がかかったような空となる。また、澱のように漂っている薄雲が、徐々に分厚くなってきて、いつしか空全体を覆って雨を降らすこともある。春は天気の移り変わりが早い。

オオシマザクラ系のサトザクラで、江戸中期以前に人の手によって作られた人工種。淡黄緑色の花色が、ウコンの根茎を使って染めた色(鬱金色)に似ていることからこの名が付けられたといわれている。咲き始めは文字どおりのウコン色(薄緑色)だが、徐々に白っぽくなり、最後は紅を微かに含むようになる。「桜」の傍題。
下の写真は、近所の川べりに咲いている何本かの一つで、ソメイヨシノが咲き終わった後、見頃を迎えている。

「巣箱」は、小動物や野鳥を繁殖させるために作られた人工の箱。小鳥のために木の幹に掛けられているのを、公園などでよく見掛ける。春先などに、樹齢何年とも知れない老木に真新しい巣箱が掛けてあるのは、初々しい眺めだ。一方、春が過ぎようとする頃になっても営巣に使われずに空のまま放置されている巣箱には、一抹の寂しさがあろう。

「春寒」は、早春の頃の寒さのことで、初春の季語になっている。「余寒」「冴え返る」もほぼ同意の季語。仲春以降に感じる寒さは、「彼岸寒」「花冷え」「木の芽寒」「苗代寒」「八十八夜寒」などと、時季や場面に応じて表現する。東京近辺でも、桜が散った後、思わぬ寒さが訪れることがある。仲春・晩春に訪れる寒さを、他に適切な季語がない場合、「春寒」と表現してもいいような気がするが、いかがであろうか。

春の山が、いかにも春の山らしい装いとなるのは、仲春以降だろう。初春の頃にも、いち早く囀る四十雀など、春の気配はそこここに表れているのだが、木の芽がほぐれながら、日差しを遮ることもない明るい山中には、春が満ち溢れている。百千鳥の鳴き声に、キツツキの幹を叩く音。近くの藪で不意に鳴き始めた小綬鶏の声。木五倍子が咲き、山茱萸が咲き、山吹が咲く。冬の間とは打って変わって、人にやさしく触れていく風の感触も、春そのものだ。
春が深まるにつれて、山中は葉を広げる木々に遮られて暗くなっていく。諸鳥の声にも、営巣の初期のような賑やかさは無くなって、落ち着いてくる。そこここに夏の兆しが表れてくるのも、その頃だ。
