
12月下旬のとある日の暮れぎわの富士山。関東地方の私の住まいから南西に位置し、夕暮はいわゆる影富士になる。時によって驚くほど大きく見えたり、小さく見えたりするのは、目の錯覚によるものだろうか。眼下には、灯ともし頃のわが町が広がる。

12月下旬のとある日の暮れぎわの富士山。関東地方の私の住まいから南西に位置し、夕暮はいわゆる影富士になる。時によって驚くほど大きく見えたり、小さく見えたりするのは、目の錯覚によるものだろうか。眼下には、灯ともし頃のわが町が広がる。

近くの公園の臘梅(ろうばい)の葉がどっと落ちて、蕾が目立つようになったのは12月になってから。冷たい雨が降った12月24日の朝、一輪、二輪と咲き始めていた。

禅寺の銀杏の梢に止まって日の出を待つ鶫(つぐみ)。冬鳥として日本に渡来し寒さに強いはずの鶫だが、冷え込んだ冬の朝は、さすがに太陽が恋しいと見える。冬は、夜が明けてから朝日が木々や家々を照らすまで、多少の時間がかかる。

ここ数日の風で、公園のユリノキの葉が残らず落ちた。枝に残る実は翼のある種子が松笠状に合体した集合果だというが、12月も半ばになると、外側部分だけがコップのように残っている。

クヌギの梢に残っている鴉の古巣が日の出に染まった。古巣は雛を育て終った巣のことで、俳句では春の季語になっているが、よく目につくのは木々が枯れ尽くした冬。