百閒忌は小説家・随筆家・俳人であった内田百閒の忌日で4月20日。幻想的な感覚を湛えた作風で知られた。昭和46年のこの日死去。
掲句は「前脚をきれいにたたむ」との措辞がさまざまな想像を呼び起こす作品。カマキリなどの眼前の小動物を写生したとも、小動物に生まれ変わった自らの動作を詠んだとも取れ、そのいずれにも取れるところにこの句の妙味がある。ある朝目覚めると巨大な虫になっていたというカフカの『変身』の主人公になった気分もあろうか。『俳壇』2024年2月号。
百閒忌は小説家・随筆家・俳人であった内田百閒の忌日で4月20日。幻想的な感覚を湛えた作風で知られた。昭和46年のこの日死去。
掲句は「前脚をきれいにたたむ」との措辞がさまざまな想像を呼び起こす作品。カマキリなどの眼前の小動物を写生したとも、小動物に生まれ変わった自らの動作を詠んだとも取れ、そのいずれにも取れるところにこの句の妙味がある。ある朝目覚めると巨大な虫になっていたというカフカの『変身』の主人公になった気分もあろうか。『俳壇』2024年2月号。
「蒲団」「布団」は、綿や藁、羽毛などを布でくるんだ寝具で冬の季語。アヒルやガチョウなどの水鳥の羽を使用している「羽根布団」は、軽く保温性があり、快適な眠りへ人を誘う。
掲句は「羽根布団」の寝心地を「浮寝」に譬えたところがポイントだ。 「浮寝」は水鳥が水に浮いたまま寝ること。公園の池に浮かんで入れ首のまま眠っている鴨を見かけることがあるが、作者はそんな水鳥の「浮寝」の気分を想像して詠んでいるのだ。ぬくぬくと布団にくるまる極楽気分は、冬の愉しみの一つ。『俳壇』2024年2月号。
春の山は明るい光と温かな空気に包まれて、ものの命に溢れている。冬の間、眠っていたものたちが一斉に目覚めて活動を始める。
掲句は、「春山」を眼前にして、深々と胸に空気を吸い込んだときの感触を句にしたもの。命あるものたちが活動する「春山」が丸ごと肺腑の中に収まったとの表現からは、春を迎えた喜びが実感として伝わってくる。「虚に居て実を行う」という芭蕉の言葉も思い起こされる。『俳壇』2024年2月号。
鵙(もず)は繁殖期を過ぎて秋になると、縄張りを主張して高い梢などで鋭い声を放つ。鵙の声が澄んだ大気にひびく、その頃の晴れわたった日のことを「鵙日和」という。
掲句は、鵙日和の青々とした空を、「青空の裏も青空」と表現したところがポイントだ。実際、その頃の空は、空の向こう側にも青々とした空が広がっているのでは、と思わせるようなからりと澄み切った青さだ。感じ取ったことを的確に見える形で表現した一句といえる。『俳壇』2024年2月号。
「年来る」は新年の傍題。始まったばかりの年のこと。年の始め。一方、「行く年」は過ぎ去ろうとしている一年を指す。いずれも「年」を擬人化した表現。
掲句は、大晦日から元旦を迎えるまでの時の流れの中で、「年」の歩みに対する感触・感慨を作品化したもの。作中には「行く年」「年来る」という二つの季語が用いられているが、「年来たる」との年初の思いが句の中心にあるだろう。「年」という目に見えない巨大な存在があって、旧年から新年へと歩みを進めていく、その歩みが同じ歩幅だというのだ。淡々として、しかも冷厳な月日の歩みを思わせる。『俳句界』2024年1月号。