瀧(たき)は、垂直に切り立つ断崖を流れ落ちる水のこと。その涼味から、夏の季語とされている。季語として認知されたのは近代になってから。
掲句は、主語として「水は」を補って読みたい作品。断崖を落ちていくのも、自らが瀧であったと気付くのも水である。水は上流から流れてきて、瀧に入る前は、まことに静かな流れであったが、水自身が知らぬ間に流れを早め、瀧となって轟いているのだ。地球上で千変万化する水と作者の心は、このとき一体化している。『俳句』2024年3月号。
瀧(たき)は、垂直に切り立つ断崖を流れ落ちる水のこと。その涼味から、夏の季語とされている。季語として認知されたのは近代になってから。
掲句は、主語として「水は」を補って読みたい作品。断崖を落ちていくのも、自らが瀧であったと気付くのも水である。水は上流から流れてきて、瀧に入る前は、まことに静かな流れであったが、水自身が知らぬ間に流れを早め、瀧となって轟いているのだ。地球上で千変万化する水と作者の心は、このとき一体化している。『俳句』2024年3月号。
俳句で「花」といえば桜の花のことだが、特定の植物を指す「桜」より、より豊かなイメージの広がりがある言葉だ。
掲句の「花びら」も、特定の桜の花びらというより、作者の心眼が捉えた花びらだろう。折から平成19年に逝去した飯田龍太の七回忌に当たる年である。空深くから「花びら」や「言葉」が降ってくるとの感受に、師龍太への追慕の思いが感じられる。天上で開かれている花見の宴を想像したくなる。2023年作。『橡の花』所収。
「鳥曇り」は雁や鴨などの渡り鳥が、春、北へ帰る頃の曇り空のこと。渡り鳥が北を指して飛び去った後には、どんよりと曇った空が残される。
掲句は「鳥ぐもり」の頃の一抹の空虚感、寂しさを、鍵盤の一つが鳴らない楽器によって浮かび上がらせた作品。指で押しても鳴らないキーがあるというのは、ピアノやオルガンを戯れに弾いているに過ぎないとしても、どこか物足りない感じがするものである。そんな時の心の隙間に、春の物憂い哀愁が入り込んでくるのだ。『俳句四季』2024年3月号。
「古日記」は、一年間書き続けた日記が、年末になって残り少なくなったもの。一年間書き綴ってきた日記を書き終わることを言うこともある。
掲句は、年末に古日記の最後のページに記すときの改まった心持が表れている作品。一年間にわたりその時々の思いや出来事を書き継いできた日記も、今日が最後の日になった。最後のページに書き記す前に、洗面所で目を洗い、ついでに眼鏡も洗ったというのだ。日常のさり気ない動作の中に、年の暮を迎えようとする作者の感慨が表れる。『俳句四季』2024年3月号。
雛(ひいな)は3月の節句に飾る雛人形のこと。段飾りであれば、内裏雛や官女雛、屏風、雪洞などが華やかに賑々しく飾られる。
掲句は「雛」と「濤音」を取り合わせただけの単明な作品。雛が飾ってある家の壁を隔てて、間近に濤(なみ)がどすんと轟いたという。「濤」というのだから、穏やかな波ではなく、大海から寄せてくる荒天の大波だろう。作品には何の情況説明もないが、一読自ずから強風が吹くなどして海が荒れ、岸に荒波が打ち寄せていること、雛が飾ってある海辺の家のひと間のしんとした静けさなどを思い浮かべることができる。単純化は作句の骨法の一つであり、この句でも、省略や単純化が効果を上げている。『俳句四季』2024年3月号。