「木の根明く」は、木のまわりの雪がいちはやく溶けて、土があらわになること(春の季語)。雪国では、春先、山毛欅(ぶな)や櫟などの木の根元に積もっていた雪が、丸くドーナツ型に溶け始める。本格的な雪解けが始まる前触れだ。
掲句は「木の根明く」という風土色豊かな季語を使って、作者が定住する雪国の春の訪れを詠んだ作品。大地にしっかり根付いて年々生長してきた大木の姿が彷彿する。作者も木々も、待ちに待った春の訪れをよろこんでいるのだ。『俳壇』2024年5月号。
「木の根明く」は、木のまわりの雪がいちはやく溶けて、土があらわになること(春の季語)。雪国では、春先、山毛欅(ぶな)や櫟などの木の根元に積もっていた雪が、丸くドーナツ型に溶け始める。本格的な雪解けが始まる前触れだ。
掲句は「木の根明く」という風土色豊かな季語を使って、作者が定住する雪国の春の訪れを詠んだ作品。大地にしっかり根付いて年々生長してきた大木の姿が彷彿する。作者も木々も、待ちに待った春の訪れをよろこんでいるのだ。『俳壇』2024年5月号。
真鯛は姿がよく、昔から海魚の王として慶事に用いられてきた。桜鯛は、産卵時期になり婚姻色を呈した真鯛のこと。桜鯛というだけで、慶事の雰囲気がただよう。
掲句は婚礼や祭礼などの慶事の膳に並んでいる桜鯛を想定したい。作者は、桜鯛の頭(かしら)より、跳ね上がった尾鰭の躍動するような生きのよさに惹き付けられたのだ。「立派なり」は作者の感動の単刀直入な表出だろう。『俳壇』2024年5月号。
「一の午(うま)」「初午」は2月最初の午の日に稲荷神社や稲荷の祠で行われる祭礼で、豊作、商売繁盛、開運、家内安全が祈願される。稲荷の周りには赤い幟が立ち、赤飯や油揚げ、団子などが売られて賑わう。
掲句は、立春後間もない「一の午」の頃のひりひりするような季節感が感じられる作品。「風雲のちぎれて高し」の措辞は平明だが、風の強い2月の晴天が見えてくるような的確な描写だ。この浅春の空の下で、地上の祭礼は賑わっていることだろう。『俳壇』2024年5月号。
鯥五郎はハゼ科の水陸両生魚で、日本での分布は有明海と八代海。干潟の泥底に棲み、干潮時には胸鰭で歩き回る。ムツゴロウの蒲焼は地元の郷土料理の一つというが、近年は生息数が減少している。
掲句は朧夜の干潟を跳ねて行く鯥五郎を描き出す。春は潮の干満の差が激しいが、今は引き潮の時で、干潟の朧に潤んだ月明かりの中を、一匹の鯥五郎が跳ね回っている。朧夜の湿り気を帯びた温かい夜気は、その鯥五郎も作者をも包み込んでいる。鯥五郎を見守る作者の温かいまなざしが思われる作品だ。『鷹柱』所収。
「子供の日」は戦後新しく制定された国民の祝日の一つで、5月5日。端午の節句でもあり、子供の健やかな成長を感謝する日。
掲句は、誰もが当然のこととして余り詠まれなかった内容を、平明に表現して味わいのある作品。上五中七の「誰もみな誰かのこども」は、老若男女を問わず、この世に生を受けた人全てに当てはまる真実だ。その厳粛な真実を「子供の日」に改めて思ってみる。人は誰かの子供であり、その誰かも別の誰かの子供である。「子供の日」は、すべての人々が、生きていることに感謝する日だと思えてくる。『俳壇』2024年5月号。