夏燕は夏に見かける燕のこと。軒下の巣に餌を運ぶ親鳥の忙しない飛翔や巣立ったばかりの幼鳥が親鳥から空中で餌を受けるさまなどは、夏の間身近に見られる光景だ。
掲句は、初夏の頃の瑞々しい新緑で覆われた山と、山間を飛ぶ生気あふれる燕の姿を取り合わせた作品。「夏燕」は点景で、句のモチーフは、夏を迎えた山の滴らんばかりの緑にある。「あをさよ」との詠嘆が、作者の感動の焦点をよく表している。『俳句四季』2024年6月号。
夏燕は夏に見かける燕のこと。軒下の巣に餌を運ぶ親鳥の忙しない飛翔や巣立ったばかりの幼鳥が親鳥から空中で餌を受けるさまなどは、夏の間身近に見られる光景だ。
掲句は、初夏の頃の瑞々しい新緑で覆われた山と、山間を飛ぶ生気あふれる燕の姿を取り合わせた作品。「夏燕」は点景で、句のモチーフは、夏を迎えた山の滴らんばかりの緑にある。「あをさよ」との詠嘆が、作者の感動の焦点をよく表している。『俳句四季』2024年6月号。
「白靴」を履くのは夏に限ったことではないが、季語としては夏季に分類されている。見た目が涼しげだし、夏の装いには白や薄い色の靴が似合う。
掲句は、夏の装いで海辺の駅に降り立ったときの軽やかな心持ちが表れている作品。無造作に言葉を並べたような破調の作品だが、その無技巧なところが句の味わいになっている。『俳句四季』2024年6月号。
虹は夏に多く見ることができ、単に「虹」といえば夏の季語だが、春の驟雨の後などにも見られることがある。日差しが弱いため、「春の虹」は現れてもすぐに消えてしまうことが多い。
掲句は、机上で手にした鉛筆の芯が柔らかいとの一瞬の感受と、「春の虹」と取り合わせに妙味がある作品。淡々と現れてすぐ消えてしまう「春の虹」を窓辺から眺め、束の間の華やぎと物足りなさを感じながら、作者は鉛筆でものを書き続けているのだろう。一句全体が柔らかな春の情感に包み込まれる。『俳壇』2024年6月号。
燕はほとんどが夏鳥として、春に南方から日本各地に飛来し、秋には帰って行く。その年の春初めて見かけるのが「初燕」で、関東近辺では3月下旬から4月頃に見かけることが多い。素早く滑らかな飛翔が印象的だ。
掲句は空高く飛翔する「初燕」を描き出した作品だ。「濡れてゐる空」は春先の明るい雨空を思わせる。既に雨は降り止んで、雲間から太陽の日差しが差し込んでいるかも知れない。雨が降るなどして潤っている空と「初燕」の取り合わせには、作者の春を迎えた喜びが表れている。『俳壇』2024年6月号。
蛍は甲虫目ホタル科の昆虫。夏の宵、水辺の闇を明滅しながら飛ぶ。夜の蛍の光の明滅を愉しむ蛍狩りは夏の風物詩。
掲句は、蛍狩りから家に帰ってきたところを想定したい。蛍の飛ぶ闇から家の明かりの中に戻ったとき、自らの「くるぶし」をほのかに青いと感じたという。蛍の匂いや蛍火の明滅の残像が、「くるぶし」に青く残っているのかも知れない。蛍が出る頃の潤いのある夜の情感を自らの身体の一点の感覚に集約したところが鋭い。『俳壇』2024年6月号。