「初蝶」は春になって、その年初めて見かける蝶のこと。モンシロチョウやモンキチョウなど淡々しい色合いの蝶であることが多い。
掲句は、心の中で母を呼ぶと、呼んだ方向から白い初蝶が吹かれてきたという句意。初蝶といえば白か黄色の小振りの蝶を思い浮かべるが、この句の「白き初蝶」には、遠くへ行ってしまった母の面影があろう。何物にも汚されない母への追慕の思いが、「白き初蝶」を作者に送ってよこしたのだ。母恋いの一句。『俳句』2024年6月号。
「初蝶」は春になって、その年初めて見かける蝶のこと。モンシロチョウやモンキチョウなど淡々しい色合いの蝶であることが多い。
掲句は、心の中で母を呼ぶと、呼んだ方向から白い初蝶が吹かれてきたという句意。初蝶といえば白か黄色の小振りの蝶を思い浮かべるが、この句の「白き初蝶」には、遠くへ行ってしまった母の面影があろう。何物にも汚されない母への追慕の思いが、「白き初蝶」を作者に送ってよこしたのだ。母恋いの一句。『俳句』2024年6月号。
アメリカは、第二次世界大戦末期の昭和20年8月6日に広島市に、続いて9日に長崎市に原子爆弾を投下した。現在も多くの被爆者が放射能の後遺症に悩まされている。
掲句は作者の「自選30句」の中の一句であり、新作ではないが、今読んでも新鮮な感銘を覚える作品だ。切り取ったのは、公園の遊具などでのごくありふれた場面に過ぎないが、人間の身体の他の部分を省略して、「手」にズームアップしたところがこの句のポイント。その不気味さは、否応なく原子爆弾という殺戮兵器のもつ非情さ、不気味さにつながる。『俳句界』2024年6月号。
「春愁」は春最中に感じる物憂い哀愁のこと。軽いぼんやりとした春特有の憂鬱な感覚。
掲句は手紙の本文を書き終えて、本文とは別の内容を書き足すために文末に「追伸」と記したとき、ふと漠とした憂鬱や哀愁を覚えたとの句意。その感覚は、「春愁」といえるかどうかも定かでない淡いものだった。「かと思ふ」との下五は、作者の胸中に漂うその淡々とした思いを表している。春最中に誰もが感じる瞬時の感覚を確かに捉えた一句だ。『俳句界』2024年6月号。
春の月は大きく重たげで、橙色を帯び、輪郭も滲んで、他の季節にはない柔らかさがある。
掲句は春月を見上げていて、「通ひ婚」が普通の婚姻形態だった平安の世の男女に思いを馳せての作品だろう。「通ひ婚」は男女が同居せず、夫または妻が時々相手の住まいを訪ねて何日か暮らすことで、現代でも週末ごとに会う週末婚など、「通ひ婚」の関係にある男女も存在する。だがこの句から思い浮かぶのは古来からの「通ひ婚」である。春月の潤いのある光が、通っていく男や女を柔らかく照らし出す。『俳句』2024年6月号。
「日脚伸ぶ」は、年も明けて、少しずつ日が長くなること。1月の半ばを過ぎると、日暮れが遅くなり、また、日差しが暖かくなって、一歩ずつ春が近づいていることを実感する。
掲句は自らの老いを、諧謔味を交えて詠んだ作品。手の甲の皺を「山脈」というのはいささか大仰だが、作者は、自らの身体に現れる老いを戯画化して愉しんでいるのだろう。自身の老いをさえ句材にしてしまうところに、作者の図太い作家魂が見える。『俳句』2024年6月号。