「山滴る」は、緑の木々におおわれた夏の山の、万物の生命力が満ち溢れて滴るような瑞々しさをいう。
掲句は、その夏山がトンネルで胎(たい)を貫かれているという。胎は母体内の子を宿すところで、この句の場合比喩として用いられているのだが、トンネルの貫く山の深部を端的に胎と表現したところは、女性ならではの感性。現在南アルプスなどで行われているリニア新幹線のトンネル工事など思い浮かべてはどうだろう。『俳壇』2024年8月号。
「山滴る」は、緑の木々におおわれた夏の山の、万物の生命力が満ち溢れて滴るような瑞々しさをいう。
掲句は、その夏山がトンネルで胎(たい)を貫かれているという。胎は母体内の子を宿すところで、この句の場合比喩として用いられているのだが、トンネルの貫く山の深部を端的に胎と表現したところは、女性ならではの感性。現在南アルプスなどで行われているリニア新幹線のトンネル工事など思い浮かべてはどうだろう。『俳壇』2024年8月号。
「夏館」は夏らしい趣のある邸宅のこと。和よりも洋の趣で、構えも大きなものをいう。
「夏館」といえば、年代物の調度類や庭に向かって開かれた大きな窓、デッキ、卓上の花瓶など、数限りない素材が目につくだろうが、掲句は、それら一切を省略し、壁に掛けられた「小品の祐三」に焦点を絞った。自ずから俗塵を離れた館内の雰囲気が読者に伝わってくる。なお、「祐三」は大正・昭和初期の洋画家佐伯祐三のこと。画家としての短い活動期間の大部分をパリ等で過ごし、三十歳で客死した。パリの街角、店先などを独特の荒々しいタッチで描いたものが多い。『俳句四季』2024年7月号。
蓮はインド原産の多年生水草。夏には長い花柄を直立に伸ばして宝珠の形をした蕾をつけ、夜明けに芳香のある大形の花を開く。
掲句は「蓮つぼみ」に焦点を絞った「一物仕立て」の作品。朝、咲いたばかりの蓮の花の香りの中に佇みながら、花の傍らの、明日咲きそうな蕾に目を留めたのだろう。蕾のうちから芳香を放っているというのは、作者がその場に身を置いて得た一つの発見だ。仮名を多用したすっきりした表現が、蓮の花の香りにまことに相応しい。『俳句四季』2024年7月号。
「若夏(わかなつ)」は、沖縄で、旧暦4、5月の稲の穂が出る頃の初夏の時候をいう。若々しい青々とした季節をイメージさせる季語。沖縄で古来より使われてきた言葉である。
掲句は初夏の頃の南の島々を詠んだ作品。日本近海には「男島(おじま)」「女島(めじま)」と称される島が、五島列島付近や下関付近などに複数あるが、掲句の島をそのうちのどこと特定する必要はないだろう。「男島翳れば女島照り」との大らかな詠みぶりが、島々の点在する海原の大景を描き出す。『俳句四季』2024年7月号。
「麦飯」は米に大麦を混ぜて炊いたもの。戦後の食糧難の時代には、米の不足を補うために麦飯を炊いたというが、今日では、貧困から麦飯を食べることはなく、健康志向から、あるいは麦とろなど特に麦飯と相性のよい献立の中で好んで食べられるようになった。
掲句の「麦飯」には懐旧の味わいがある。作者にとって「麦飯」は、父母や故郷など過去の大切な記憶と結びついている。それを作者は「口中に風の記憶」と鮮烈に表現した。懐旧は詩のモチーフとしては目新しいものではないが、そのモチーフを包み込む表現に独自性のある作品だ。『俳句』2024年7月号。