「蟻」はハチ目アリ科の昆虫の総称。女王蟻、働き蟻などからなる高度な社会生活を営む。よく見かけるのは、暑い夏の盛りに地表を歩き回る姿だ。子供に身近な昆虫でもある。
掲句は、外遊びをしていた幼い子供の可憐な姿が彷彿する作品。地面にしゃがみこんで蟻と遊んでいた幼子の手についていた蟻の匂い。この句で表現しているのはただそれだけのことだが、一読思い浮かべる情景には豊かな広がりがある。「省略」という俳句の骨法の力を、改めて再認識させられる一句。『俳句』2024年9月号。
「蟻」はハチ目アリ科の昆虫の総称。女王蟻、働き蟻などからなる高度な社会生活を営む。よく見かけるのは、暑い夏の盛りに地表を歩き回る姿だ。子供に身近な昆虫でもある。
掲句は、外遊びをしていた幼い子供の可憐な姿が彷彿する作品。地面にしゃがみこんで蟻と遊んでいた幼子の手についていた蟻の匂い。この句で表現しているのはただそれだけのことだが、一読思い浮かべる情景には豊かな広がりがある。「省略」という俳句の骨法の力を、改めて再認識させられる一句。『俳句』2024年9月号。
「新樹(しんじゅ)」はみずみずしい若葉をつけた初夏の木々。古くからある季語だが、近代的な語感がある。
掲句は駅頭の「新樹」と人との関わりを詠んだ作品。駅前に亭々と聳える貫禄ある「新樹」。通るたびにいつも目にしている大木だが、今はみずみずしい若葉に覆われて装いを新たにしている。樹下には待ち合わせらしい人もちらほらと見えるが、それらの人も時間が来ると一人ずつ立ち去っていく。表現は平明だが、都会的な光景を的確に描き取っている。『俳句』2024年9月号。
「捩花(ねじばな)」は芝地、草原などに自生するラン科の多年草。仲夏の頃、茎の上方にらせん状にねじれた穂を出す。
掲句は、自らの「姿勢」を正せば見えてくるものがあるという。この「姿勢正せば・・・」の措辞には、自らの人生に向き合う円熟した作者の知恵が詰まっているようだ。「姿勢」は身体の構えのことだが、同時に心の構えでもあるだろう。「捩花」という夏の野原に咲く可憐な花が、そうした作者を見守っているようだ。『俳壇』2024年9月号。
季語「涼し」は、暑い夏の一日の中で、思いがけず覚える涼しさをいう。
掲句の「身を鎧(よろ)ふもの」は何だろう。「鎧う」は鎧 を着たり、甲冑 (かっちゅう) などをつけて武装することから、より抽象的に何かを身にまとう意に意味を広げてきたので、この句で作者が身に鎧っているものも、社会的地位や俳人としての立場、世間体への顧慮などさまざまに解釈できる。いずれにしても衣服など目に見えるものに限らないことは確かだ。作者は、日頃身に鎧っているものを外してありのままの自分に還って涼んでいるのだ。俳句には具象的に描き出して成功する場合と、抽象的に表現して成功する場合があるが、掲句は後者の一例。『俳壇』2024年9月号。
「星月夜」は月のない夜空が星明りで月夜のように明るいこと。月が出ている夜は、月の明るさで星の明るさがかき消されてしまうが、夜空に月がない新月の時期なら、星の持つ本来の輝きを見ることができる。
掲句は「星月夜」の明るさの中で、亡き父母を偲んでいる作品。「踝(くるぶし)」は足首の関節の内側と外側に突き出している骨の突起部分。「ひかがみ」はひざの後ろのくぼんでいる所。いずれも脚の特定部位を表す言葉。「踝」も「ひかがみ」も父母それぞれの思い出に結び付いた身体の一部なのだ。『俳壇』2024年9月号。