「打ち水」は夏の暑さや埃をしずめるために、昼や夕べに路地、店先などへバケツやホースなどで水を撒くこと。ひんやりとたちのぼる涼感が快い。
掲句は、暑さを少しでも和らげようと、丸の内界隈の歩道や店舗の前に水を打ったところだろう。その滑らかな水の膜に東京駅が映り込む。そこを、作者を含め会社勤めの人々が、滑らないように大股に通り過ぎてゆく。誰も立ち止まる人はない。スピード感のある現代の都会風景が鮮やかに切り取られている。『俳壇』2024年11月号。
「打ち水」は夏の暑さや埃をしずめるために、昼や夕べに路地、店先などへバケツやホースなどで水を撒くこと。ひんやりとたちのぼる涼感が快い。
掲句は、暑さを少しでも和らげようと、丸の内界隈の歩道や店舗の前に水を打ったところだろう。その滑らかな水の膜に東京駅が映り込む。そこを、作者を含め会社勤めの人々が、滑らないように大股に通り過ぎてゆく。誰も立ち止まる人はない。スピード感のある現代の都会風景が鮮やかに切り取られている。『俳壇』2024年11月号。
盂蘭盆会(うらぼんえ)では故人の霊を供養するばかりでなく、長寿の人に対しても祝い物を贈ったり饗応したりする。「生身魂(いきみたま)」は盂蘭盆で敬われる年長者のこと。
掲句は「生身魂」である年長者の内面にある戦争の傷跡を詠んだ作品。戦後80年近く経過した今でも、この度の太平洋戦争の戦禍を経験した人には、依然として「戦後」が続いているとの思いがあるのだ。生きている限り、その思いは変わらないのだろう。『俳壇』2024年11月号。
「薄暑」は初夏の頃のやや汗ばむほどの暑さをいう。大正初期に季語として定着した。「軽暖」ともいう。
作者は戦前の生まれだから今おおむね八十代。掲句は自らの来し方を詠んだものだろう。自ら生きてきた80年を「道草」と断じたところには、永年俳句にたずさわってきた作者の心のうちの風狂の思いも感じられる。肩の力を抜いたときにふっと生まれた作者の飾らない自画像であろう。『俳壇』2024年11月号。
「銀河」「天の川」は夜空に白く濁って見える星の集合を川に見立てた秋の季語。
掲句は「九頭竜川(くずりゅう)」の瀬音と星空を取り合わせて、自然のダイナミズムを感じさせる大柄な作品。目に降ってくる銀河の光と耳に聞こえてくる大河の瀬音が錯綜する。福井県の北嶺地方を流れるこの川の名が味わい深い。『俳壇』2024年11月号。
秋雲は、爽やかに澄み渡った空に現れては流れ去っていく。高々と晴れ上がった空に浮かぶ白い雲は、秋らしい爽やかさを感じさせる。
掲句は秋雲を絹のように手に絡めたという、実際にはあり得ないことを詠む。「虚」に遊ぶ句は、一歩誤ると荒唐無稽になり易いが、この句には秋雲のさらさらとした手触りが感じられてリアリティがある。秋雲を仰いでいる作者の心のうちの、秋懐とも秋思ともつかない淡いもの思いもどことなく感じられる。『俳句四季』2024年10月号。