「月」は一年中眺められるが、単に「月」といえば秋の季語。空は澄んで、頭上の月が大きく地上に照りわたる。「月の海」は、澄んだ月が照らし出している海原。
掲句は「航(ゆ)く」との措辞から、夜の船旅を思いたい。デッキの上に佇むと、頭上の月が静かな海を照らしている。作者はその静かさの中で、月と地球の間に働いている引力を感じている。静かであればある程、その目に見えぬ力がありありと感じられたのだ。宇宙のダイナミズムを感じさせる大柄な一句。『俳句』2024年11月号。
「月」は一年中眺められるが、単に「月」といえば秋の季語。空は澄んで、頭上の月が大きく地上に照りわたる。「月の海」は、澄んだ月が照らし出している海原。
掲句は「航(ゆ)く」との措辞から、夜の船旅を思いたい。デッキの上に佇むと、頭上の月が静かな海を照らしている。作者はその静かさの中で、月と地球の間に働いている引力を感じている。静かであればある程、その目に見えぬ力がありありと感じられたのだ。宇宙のダイナミズムを感じさせる大柄な一句。『俳句』2024年11月号。
「日向ぼこ」「日向ぼこり」は日だまりでじっと動かずに暖まること。風のない晴れた日の冬の愉しみ。
掲句は日向ぼっこをしながら、自らの五体のうちを流れる血を思い、自らの来し方に思いを馳せているのだろう。来し方への思いは、作者の生まれる前の祖先へ、さらには人間に進化する前の猿へと遡っていく。ホモサピエンスだと威張っていても、所詮は猿の末裔ではないか。食っては排泄し、縄張りを主張し、群れては争う日常は、猿とさして異なるところはないではないかと。辛辣な目を自らに向けた一句。『俳句四季』2024年11月号。
「ちやんちやんこ」は寒さを防ぐ袖のない羽織で綿が入っているもの。動きやすく重ね着ができるので、冬の日常着として便利。
掲句は作者の気負いのない日常心が表出されている作品。住む家に神棚も仏壇もない簡素な生活と「ちやんちやんこ」の親しみやすさが、生活の基調の色合いとなっているのだ。普段着の手触りの感じられる一句。『俳句四季』2024年11月号。
「根深汁」は葱汁ともいい、葱の味噌汁のこと。土を盛り上げて根を白軟化させた白葱(根深)を使う。関西より関東で好まれる食味だ。
掲句は詩人・俳人である作者の言語観が窺える作品。作者はまだ湯気を立てている「根深汁」を前にして、「老いらく」という言葉を反芻している。「老いらく」は年老いること、老年の意味だが、作者を含め多くの人は、「老いらく」といえば「恋」を想像してしまう。「老いらくの恋」という語が一般化して、想像力が型に嵌まってしまっているのだ。もともとは、戦後間もない頃、当時老境にあった歌人川田順が弟子の女性と恋愛・家出し、〈墓場に近き老いらくの 恋は怖るる何ものもなし〉と詠んだことから広まったものという。それはともかく、掲句の「や」には反語の意味合いがあるだろう。それでいいのですか?との世間に対する問いかけである。言葉が固定化し、想像力が型に嵌ってしまっては、詩に未来はないからだ。言語表現にたずさわる者を𠮟咤する一句と言える。『俳句四季』2024年11月号。
「敬老日」は九月の第三月曜日。国民の祝日の一つ。長年働いて社会を支えてくれた高齢者に感謝し、その労をねぎらう日である。
掲句は敬老日を詠んだ作品。手元の辞書によれば、「三鞭酒」はフランス産発泡性葡萄酒であるシャンパンの漢字表記。難読問題に出そうな表記だ。作者は敬老の日の祝いの席にいる訳ではなく、いつものように机に向かっているのだが、シャンパンという語の漢字表記に軽い関心を持った作者の胸中の微かな華やぎが感じ取れる一句。『俳壇』2024年11月号。