「水澄む」は秋に水が澄みわたること。川、海、湖や沼などだけでなく、水溜まり、汲み置きの水など身近な水もすべて澄んでくる。
掲句は小さな手帳を持ち歩いている作者の日常が思われる作品。「たなごころ」はてのひらの意で、漢字の表記では「掌」だが、この句では仮名書きの柔らかみが活かされていると思う。秋たけなわの水辺に立った作者の内面のゆとりが感じられる。『俳句四季』2024年12月号。
「水澄む」は秋に水が澄みわたること。川、海、湖や沼などだけでなく、水溜まり、汲み置きの水など身近な水もすべて澄んでくる。
掲句は小さな手帳を持ち歩いている作者の日常が思われる作品。「たなごころ」はてのひらの意で、漢字の表記では「掌」だが、この句では仮名書きの柔らかみが活かされていると思う。秋たけなわの水辺に立った作者の内面のゆとりが感じられる。『俳句四季』2024年12月号。
「息白し」は、冬、大気が乾燥して気温が低くなり、人や動物の吐く息が白く見えること。
掲句は、「息白し」「白息」という季語のもつ冬の季感がよく活かされている作品。バスは停留所に停まって間もなく発車しようとしている。そこへ、遅れて走ってくる一人の客。喘ぎながら来たその「白息」の客が無事に乗車するのを待って、バスは動き出す。冬の朝の通勤風景の一コマが生き生きと描き出された。『俳句四季』2024年12月号。
鹿はシカ科の哺乳動物。北海道に棲息する蝦夷鹿は日本鹿の中でも最も大形。草食性で昼夜の別なく行動する。鳴き声がよく聞かれる秋が繁殖期。
山野を歩いていて、少し離れたところに野生の鹿を見かけることがある。ピタッと静止して振り向いた鹿の目には、警戒心と好奇心が表れる。こちらが動き出さなければ、鹿の方でもいつまでもこちらを見つめて立っている。しばらく経つと鹿は警戒心を少し緩めて近くの草を食んだりし始める。掲句は以上のような人と鹿の交流を「会話するやうに」と表現した。確かに、山野で出会った人と鹿は、互いに言葉こそ交わさないが、目と目を合わせて会話したともいえる。『俳句四季』2024年12月号。
「しぐれ虹」は「冬の虹」の傍題。夏の虹のように鮮明ではないが、ひと時雨(しぐれ)あったあとに淡い日差しにかかる虹は儚く美しい。
掲句は時雨がさっと降って過ぎた後にかかる「しぐれ虹」を詠む。虹の片脚が作者の眉間(みけん)より立っているというのは、虚実皮膜の一瞬の感受だが、現れては消える初冬の淡い虹の美しさを引き出している。しばらく佇んでいると、作者と遠嶺(とおね)の間にかかっている虹も、たちまち薄れてゆくことだろう。『俳句四季』2024年11月号。
俳句で単に「祭」といえば都市部の神社を中心に行われる夏祭を指す。「山車(だし)」等の巡行があり、舞や奏楽などの奉納が行われる。境内や門前には夜店が立ち並び、宵宮から祭り当日にかけて多くの人でにぎわう。「山車」は「神輿」などとともに「祭」(夏季)の傍題。
掲句は祭当日「山車」を引く人たちの中にいる作者自身を詠んだ作品だろう。これまで何回か転職をして、どの職場も「山車」が巡行する道沿いにあるといった場面が想像される。「前の職場」の前を通るときの多少の後ろめたい気分や気恥ずかしさが、さり気なく出ているところがいい。『俳句』2024年11月号。