フランス紀行Ⅱ(13)

旅の終盤の一日、私たちは画家ジャン・フランソワ・ミレーやテオドール・ルソーが住んだバルビゾン村を訪れた。広大なフォンテーヌブローの森が村近くまで続いていた。かつてはミレーを始めとするバルビゾン派の画家たちが、画材を担いでフォンテーヌブローの森に入り、自然のなかで直接制作を行ったという。森の光、空気、風の揺らぎをその場で肌で感じながらの制作だったのだろう。

バルビゾン派は、1830年から1870年頃にかけてフランスで隆盛した、自然主義的な風景画や農民画を中心に描いた絵画の一派。バルビゾン村やその周辺に滞在・居住して制作したという。のちに印象派を代表する画家になったモネやルノワールらも、青年期にフォンテーヌブローの森へ出かけ、バルビゾン派の先輩画家たちから直接アドバイスや影響を受けた。因みに「第1回印象派展」が開催されたのは1874年。

レンタカーで村に到着した朝、フォンテーヌブローの森の散歩道を歩いた。山毛欅(ぶな)が葉を茂らせていた。犬を連れて散歩している人に多く出会った。折からの日照り続きで山火事があり、多くのエリアで立ち入りが制限されていたのは残念だった。

村の外れには、ミレーが『晩鐘』や『落穂拾い』を描いたとされる麦畑などが当時の景観のまま広がり、麦を刈り取った後の縞模様がうねるように伸びていた。「芸術保護区(Série artistique)」への指定など、この景観を守るための厳格な法制度が整備されているという。

村のメインストリート沿いにあるミレーが亡くなるまで住んでいたアトリエ兼住居は、ミレーの家(フランソワ・ミレー記念館)として公開されていた。なお、当時家族9人と暮らしていた居住スペースの建物は、後年崩壊してしまい現存していないという。

ミレーの家に展示されていた画家の自画像。31歳から32歳頃の作品である。バルビゾン村に来て『晩鐘』などを制作する前の若い頃のミレーは、パリや故郷(ノルマンディ地方のグリュシー)で肖像画家として活動していたという。画家としての強い志(こころざし)を秘めた眼差しが、こちらを見つめていた。

最も奥の部屋は、画家が生前アトリエとして使っていた空間。納屋を改装した、高い天窓のあるアトリエである。ポストカードなどの販売コーナーが設けられていた。

バルビゾン村のメインストリート。石畳が続く道沿いには、地元の画家のギャラリーやテラス席を設けたカフェなどもあった。

ゴッホにとってミレーは、敬愛する師であるとともに、最も大きな影響を受けた画家だったという。ゴッホが画家を目指したのは1880年頃であり、1875年に亡くなったミレーから直接指導を受ける機会はなかったが、ゴッホはミレーに深く心酔していた。この度の旅行では、この二人の終焉の地を訪れることができた。


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