私たちの旅の後半はロワール地方。フランス最長の大河ロワール川の流域に広がる古城が点在するエリアである。有数のワイン産地としても知られている。風光明媚な地域で、古くから「フランスの庭園」と呼ばれてきた。この地方には、大小あわせて300以上もの古城が存在するが、歴史的・建築的に価値が高く、しかも内部が公開されている城は140ほどという。今回、そのうち4箇所を訪れた。
始めに訪れたのがシュノンソー城。ロワール川の支流シェール川をまたぐように建てられた、16世紀のルネサンス様式の古城である。代々、王妃や寵妃など6人の女性たちが城主を務めた歴史があり、それぞれのこだわりが建物や庭園に反映されている。特に、アンリ2世の寵妃ディアーヌ・ド・ポワティエと、正妻カトリーヌ・ド・メディシスの確執やそれに伴う物語がよく知られている。

城内のカトリーヌ・ド・メディシスの寝室。中央に深紅の天蓋付きベッドが据えてある。彼女は王の死後実権を握ると、この城をさらに豪華に改築した。

城の窓から見下ろしたシェール川。好天のもと、ボートを漕いで、城の真下をくぐる人もいた。

城内の厨房。石造りのアーチ天井と大きな調理台、壁に掛けられた数々の銅鍋。宮廷生活を支える一大料理工場の感があり、城内での生活にとって、厨房がいかに重要なエリアであったかを窺わせる。厨房には、川に直接つながる窓があり、船で運ばれてきた新鮮な食材を直接厨房内へ引き上げていたという。

アンリ2世の寵妃ディアーヌ・ド・ポワティエと正妻カトリーヌ・ド・メディシスの名前を冠した庭園は、城を挟んで東側と西側に位置し、庭の雰囲気には、それぞれの女性の人柄が表れているように思えた。
次の写真は、城の西側のディアーヌ・ド・ポワティエの庭園。カトリーヌの庭園の2倍以上の広さを持ち、噴水を中心に明るく開放的な景色が広がる。ディアーヌの明るく闊達な性格を反映しているのだろう。

一方、東側のカトリーヌの庭園には、白や薄紫のペチュニアが咲き盛り、彼女が愛した薔薇が柵に沿って咲き残っていた。

次に訪れたのはブロワ城。朝、レンタカーを停めて、ロワール川の対岸から、ブロワの町を眺めた。丘の上にそびえるブロワ城やサン・ニコラ教会が見える。

ブロワ城は、ブロワの町中に古い館かマンションのように建っていた。7人の王と10人の王妃が暮らし、16世紀に首都としての役割が実質的にパリに移るまでの約100年間、王家の第一城としてフランス政治・文化の中心舞台となった(事実上の首都)。王家の第一城となったのは、15世紀末から16世紀初頭にかけてのルイ12世、フランソワ1世の時代。

シャンボール城は、ロワール地方では最大規模のルネサンス様式の古城。1519年に国王フランソワ1世の命によって狩猟用の宮殿として建設された。居住用の宮殿ではなく、あくまで王の権力を外国に誇示するための記念碑であり、また、臨時の狩猟用のロッジでもあったという。フランソワ1世がこの城に滞在したのは、生涯で72日間に過ぎない。その後も歴代の国王や貴族がほとんど使わなかった城である。私たちは外観を眺めただけだったが、豪華な廃墟が朝日を浴びて聳え立っている感じだった。

最後に訪れたのがフージェール・シュル・ビエ―ブル城。堅牢な外観をもち、中世の軍事要塞としての佇まいを残している。多くの観光客が集まる華麗な城ではないが、質実な外観にも内部にも中世の雰囲気が感じられた。

城内の簡素な礼拝堂。鉄製の燭台が置かれてあった。小さな窓から、初夏の日差しが差し込んでいた。

ビエーヴル川のほとりに位置する城の敷地内には、中世の様式をベースにしたハーブや野菜の菜園が維持されていた。