フランス紀行Ⅱ(8)

以前に紹介したノルマンディー地方の古都ルーアンは、1431年にジャンヌ・ダルクが異端審問の末に火刑に処された地でもある。ジャンヌが直接軍を率いて活躍した期間はわずか1年ほどで、彼女は志半ばで宗教裁判にかけられ火刑に処された。

次の写真は、百年戦争時、ジャンヌ・ダルクが裁判期間中に幽閉されていたフィリップ・オーギュスト城の遺構。「ジャンヌ・ダルクの塔」と呼ばれている。現在は内部が資料館になっている。

旧市街(ヴュー・マルシェ)広場。中世(ジャンヌ・ダルクの時代)から現在に至るまで何世紀もの間、市場(マルシェ)が開かれ続けてきた場所である。ジャンヌが火刑に処された当時も、ここは活気ある日用品の市場だったという。現在も、広場中央にあるジャンヌ・ダルク教会の建物と一体化したスレート屋根の屋内市場が立ち、ノルマンディー特産のチーズ(ハート型のヌフシャテルなど)や新鮮な野菜、魚介類、花などが並んでいた。

ジャンヌ・ダルク教会は、伝統的なゴシック様式の教会とは全く異なる、非常に個性的でモダンな建築だった。1979年に建築家ルイ・アレシュの設計によって建てられたという。スレート(瓦)葺きのうねるような屋根は、ジャンヌが命を落とした火刑の炎を表現しているとされる。

教会の北側の壁は、16世紀(ルネサンス期)に制作されたステンドグラスで埋め尽くされていた。第二次世界大戦の空襲で破壊された別の教会(聖ヴァンサン教会)の遺物で、戦火を避けるために事前に取り外され地下に保管されていたものという。

次の写真は、教会内部のジャンヌ・ダルク像。剣を手に戦う戦士としての姿ではなく、哀しみを帯びた祈りの姿である。衣服の裾が波打っている様は、燃え盛る火刑の炎を連想させる。私たちが訪れたときも、ジャンヌの像に花や灯火を供える人が跡を絶たなかった。

フランス人にとってジャンヌ・ダルクは、 外敵(イギリス)からフランスを救った愛国者であり、 神の啓示に従った聖女であり、農民階級から立ち上がって国を救った民衆の英雄であるなど多様な側面を持ち、時代や思想的・政治的立場(右派、左派など)を超えてフランスのアイデンティティを象徴する存在。フランス人にとって彼女は単なる過去の偉人ではなく、今なおフランス人の精神や団結の象徴とされる。国王という絶対的な頂点を失い共和国となったフランスが、先の2度にわたる大戦に際して、国民の団結と愛国のシンボルとなる存在を必要としたという背景もあるようだが、ルーアンのジャンヌ・ダルク教会やその他の遺構は、ジャンヌ・ダルクが、今なおフランス人の心の中に生き続けていることを改めて認識させてくれた。ナポレオンやド・ゴールなどフランスで過去に出現した偉人は相当数になると思われるが、その誰もが、ジャンヌに取って代わることができないのだろう。


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