フランス紀行Ⅱ(6)

今回の旅では初めて大西洋を目の当たりにした。その大西洋に面するフランス北西部のノルマンディー地方からブルターニュ地方にかけての海岸線は、大きな潮の満ち引きがあり、長い間の波の浸食作用によって多様な景観が形作られていた。

次の写真は、ノルマンディ地方のエトルタとその先に広がる海原。アヴァルの断崖近くの「針の岩」が中央に見える。訪れたときは、白亜の断崖に満潮時の大波が打ち寄せていた。この景観を作り出したのは、大西洋(イギリス海峡)から打ち寄せる波の浸食作用。印象派の画家たちの画題になったほか、怪盗ルパンの小説『奇岩城』の舞台にもなった。著者モーリス・ルブランの旧宅は、庭園とともに、エトルタの町中に残されていた。

エトルタからほど近いドゥ―ビルの海岸。エトルタの海岸が断崖やゴツゴツした小石(礫)だったのに対し、高級リゾート地であるドーヴィルは約2キロメートルにわたって続くきめ細かく美しい砂浜が特徴だ。セーヌ川が上流から運んできた大量の砂や泥が、河口の南側にあるドーヴィル周辺に流れ込み、長い年月をかけて広大な砂浜を作り上げたという。言ってみれば、セーヌ川に育まれた砂浜なのだ。私たちが訪れたときは、カラフルな日覆いの下にテラス席が設けられて多くの客が憩っていた。

パラソルは、使用しない時にはすっきりと美しく巻き付けられ、独特の結び紐(ノルマンディー結び)で固定されていた。

モン・サン・ミシェル(修道院)のテラスから撮った大干潟。朝日に照らされて、干潟には海水が川のように残っていた。モン・サン・ミッシェルはノルマンディー地方とブルターニュ地方の境界線に位置し、その周辺の干潟は、ヨーロッパ最大級の激しい潮の満ち引きが生み出すもの。潮が引くと島が陸続きになって歩いて渡れるが、満ち潮の時は驚異的なスピードで水が押し寄せるという。特に春分(3月頃)と秋分(9月頃)の時期は、満潮時の潮位が最も高くなり、孤島になったモン・サン・ミシェルを眺めることができるそうだ。

グルワン岬は、ブルターニュ地方に位置する岬。ノルマンディ地方の白亜の断崖と異なり、地底のマグマから生まれた頑丈な花崗岩が荒波に耐え抜き、複雑に残った地形だという。牡蠣の産地カンカルのすぐ北側に位置する。好天のもと、サン・マロ湾を隔ててモン・サン・ミシェルが遠くに望まれた。岬の先端に行くほど潮風が強まっていった。

カンカルは、ヨーロッパ有数の牡蠣の産地。港の青空市場で注文すると、お兄さんがその場で牡蠣の殻を剥いてくれた。海岸のベンチで、牡蠣棚やその先に広がるコバルトブルーの海原を眺めながら、レモンを絞って牡蠣を味わった。ルイ14世やナポレオンも愛した味という。暑さの中で味わった小ぶりの牡蠣の、コリコリとした食感ときりりとした塩辛さが強烈だった。ただし、日本で食べる生牡蠣のクリーミーな食感を期待していると、失望するかもしれない。

サン・マロを訪れたのは革命記念日の7月14日。駐車場近くのメリーゴーランドが親子連れで混み合っているのを見て、今日は休日だったと気づいた。

サン・マロは、かつては国王公認の海賊(コルセール)の拠点だったという。16〜17世紀には海賊や航海士たちの母港として繁栄した。旧市街を約2キロにわたって城壁が取り囲み、私たちはその上を歩いた。町を外敵や高潮から守るために築かれたというその城壁の上から、離れ島やヨットが見渡せた。紺碧の海を背景に、浮標も接岸の船も鷗も白さを際立たせていた。

ディナール(Dinard)の海水浴場。ディナールは、「北のニース」と呼ばれる高級リゾート地。沖合の島々のお陰で波が穏やかだという。19世紀後半から主としてイギリスの貴族や富裕層の避暑地・社交場として発展してきた。ニースの「英国人の散歩道(Promenade des Anglais)」に対して、こちらは「月光の遊歩道( Promenade Clair de Lune)」が海岸べりの岩礁に続いていた。遊歩道では、時折岩礁を吹き上げてくる風に、帽子を飛ばされそうになった。


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