フランス紀行Ⅱ(4)

ジヴェルニーは画家クロード・モネが晩年住んだ町。ノルマンディ地方の人口500人ほどの小さな村だが、パリから鉄道で1時間足らずで行けるところにある。

公開されているモネの家を訪れる前に、そこからほど近いサント・ラドゴンド教会の敷地内にあるモネ家の一族が眠る墓に立ち寄った。画家として幸福な生涯を送った人らしく、十字墓の周りは、多くの花で埋め尽くされていた。

モネの家は、モネが後半生の約43年間を過ごし、連作の睡蓮の絵などを生み出したところ。邸宅はピンク色の外壁と緑の窓枠が特徴で、パステルブルーのキッチンや、日本の浮世絵が所狭しと飾られたダイニングなど、当時の暮らしの雰囲気を感じ取ることができた。次の写真は邸宅内の一室。印象派を代表する画家としてのモネの人気は素晴らしく、邸宅内のどの部屋も、日帰りらしい軽装の観光客で混雑していた。画家として成功したモネは、50歳になる1890年にこの家を一括購入し、広大な庭園と池を造園したという。

邸宅前に広がる庭が「花の庭(Clos Normand)」、後年土地を追加購入して新しく造成した庭が「水の庭」。いずれもモネの命名である。「花の庭」にはペチュニアやバラなどのほか、合歓が濃い紅の花を咲かせていた。次の写真は邸宅の窓から撮った「花の庭」。

「花の庭」を抜けると、その向こうに「水の庭」が広がっていた。「水の庭」にはモネの日本趣味を感じさせる太鼓橋や藤棚が当時の趣をとどめ、画家が亡くなるまで描き続けた睡蓮が今年も花を咲かせていた。モネが描いた睡蓮の絵は300点近くもあると言われる。同じ対象を繰り返し描き続けた画家の思いに少しでも近づこうと、池のほとりに佇んだ。次の写真は「水の庭」を撮ったもの。モネが睡蓮の絵の中に描き込んだ池畔の柳の木が豊かな枝を垂らしていた。

モネが描いた数多くの睡蓮の絵の中で、最晩年の大作がパリのオランジェリー美術館に展示されているので、パリ散策の日に訪れた。展示されているのは、同美術館の2つの楕円形展示室。高さ約2メートル、全長は合計約91メートルに及ぶ全8点の連作パネルである。モネ自身は、これらの連作パネルを「大装飾画(Les Grandes Décorations)」と呼んだという。制作されたのはモネが74歳から86歳(亡くなる直前)までの約12年間。当時白内障を患っていたモネが、記憶にある青や紫、あるいは目に見える強烈な赤やオレンジをキャンバスにぶつけたのだという。第一展示室のパネル(写真)は、画面全体が水面だけで満たされ、輪郭線がなくなり、絵の具が荒々しく、あるいは幾重にも重ねて塗られている。近くで見ると何が描かれているか分かり難い。モネが表現しようとしたのは、外界というよりも、自らの内面や光の本質そのものなのだろう。

一方、第二展示室の柳の木が描き込まれているパネルは、地平線のない抽象的な世界の中に具象がアクセントになっており、こちらの方が素人の私には分かりやすかった。

モネがフランス政府に睡蓮の大装飾画の寄贈を約束したのは1918年11月12日、第一次世界大戦の休戦協定が結ばれた翌日だった。寄贈は、モネの長年の親友であり、当時のフランス首相でもあったジョルジュ・クレマンソーとの深い絆によって進められたという。鑑賞者を360度絵画で包み込み、作品の世界に没入させる当時としては異例な手法も、モネの希望によるもの。オランジュリー美術館が開館したのは、モネの死から半年後の1927年。


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