今年(令和8年)6月下旬から7月下旬にかけて、妹夫婦と私たち夫婦の4人でフランスのパリ近郊からノルマンディ、ブルターニュ、ロワール、フォンテーヌブローを回ってきた。プライベートな旅行でのフランス行きは昨年に続いて2度目である。今回も昨年に引き続き、筆の赴くままに、旅中の見聞などを書き綴ってみたい。
最初の訪問地は、シャルル・ド・ゴール空港からレンタカーでホテルに移動する途中に訪れたオーベール・シュル・オワーズ。パリ近郊の人口7千人ほどの村であり、画家フィンセント・ファン・ゴッホの終焉の地でもある。といっても、ゴッホがこの村に住んだのは1890年5月20日から7月29日までの約70日間。ゴッホは麦畑でピストル自殺を図った2日後、7月29日に下宿先のラヴ―亭の部屋で亡くなった。
村役場近くの公園にゴッホのブロンズ像が立っていた。実際のゴッホより手足を長く引き伸ばした、デフォルメされたブロンズ像を仰ぎながら、私たちはゴッホの眠る共同墓地へ向かった。

途中立ち寄ったのがノートルダム寺院。 ゴッホ最晩年の油彩『オーヴェールの教会』のモデルになった教会である。聖職者を目指して挫折した過去を持つゴッホにとって、教会は特別な意味を持つモチーフだったのだろう。教会の内も外も、何事もなかったかのように静謐な時が流れていた。

教会の裏手の丘には、強烈な日差しのもと、雲の影一つない黄金色の麦畑が広がっていた。ゴッホが『カラスのいる麦畑』で描いたあの麦畑である。絵に描かれた不吉な鴉の姿はどこにもなく、青空と麦畑だけの世界が広がっていた。ゴッホ没後130年余を経た今でも、農家の人が毎年麦を蒔き、収穫を行っているという。フランス政府や自治体、文化団体が連携して保護活動を行っているのだ。画家が描いた風景を国を挙げて徹底して保存していこうとする姿勢は、日本にはないもの。

熟れ麦の間を道がうねりつつ延び、その先に村の共同墓地があった。共同墓地の塀ぎわに、ゴッホと弟テオの簡素な墓が並んで立ち、2つの墓石の上には、誰が手向けたのかヒマワリが一本ずつ供えてあった。墓石に手を置くと、折りからの日差しを受けて灼けるほど熱かった。

ゴッホの下宿先であり、息を引き取った場所であるラブー亭は、今はゴッホの家(Maison de Van Gogh)として公開され、一階部分は今もレストランとして営業していた。因みにゴッホが借りていたのは、3階の屋根裏にある5号室。小さな天窓から光が差し込むだけの部屋である。

〈口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か 湘子〉の句があるように、夏はゴッホ忌が巡ってくる季節であり、また、画家が生前最も精力的に制作活動を行った季節でもある。私たちの旅の初日は、ゴッホを偲ぶのに相応しい暑い日だった。