一軒の藁家全き桃の花 直人
「桃の花」は桜に少し遅れて咲く、鄙びた美しさを持つ花。多くは実を収穫するための花であり、その華やかさとは別に、地域の生活に根ざしている花でもある。
掲句は藁家(わらや)の傍らに咲いている桃の花を詠む。藁家は藁で屋根を葺いた家のこと。藁葺きは、かつては農村でごく普通に見かける屋根だったが、高度成長期を経て姿を消していった。作者が見ているのは藁葺きの屋根が近隣から姿を消しつつある時期の一軒の藁家。「全き」との端的な一語に、古きよきもののもつ風格に惚れ惚れと目を注いでいる作者の姿が思われる。「桃の花」は、この句では、一軒の藁家のどっしりとした風格を引き立たせる役を果たしている。昭和55年作。『朝の川』所収。