「氷河」は長い年月にわたって氷や雪が堆積、圧縮されてできる氷の巨大な層。重力によって徐々に移動している。その涼しげなイメージから夏の季語になっている。
日本には「氷河」はないことから、「氷河」の句は海外詠か想像により詠んだものになる。手元の歳時記には目ぼしい作品はない。 大氷河神の鋸もて切らん 山口波津女 など、どこか観念的で、想像のみに頼った弱さが露呈している作品が多い。
数年前、ニュージーランド最高峰のマウントクック(マオリ語ではアオラキ)の山麓で斜面のフッカー氷河を仰ぎ見たことがある。キャンプ場から木道や吊橋が続き、がれ場を辿っていくと、目の前にマウントクック斜面のフッカー氷河が聳え立った。その間、谷川を流れ下る白濁した雪解水の轟きが耳を離れなかった。原初の地球を思わせるような荒々しい自然に接した記憶が今も生々しく残っている。
その時の作品は『郭公』に特別作品として掲載できたが、鮮烈な自然相に接した成果としては質・量ともに十分なものではない。意欲が空回りしてしまう海外詠特有の難しさもあるようだ。