堰ひらく渦なり鮒も乗込めり 秋櫻子 田にけぶる乗込鮒の朝の雨 〃 乗込むや日の出を待たぬ鮒釣師 〃
鮒は、春になって水温が上がってくると、産卵のため小川や水田に群れをなして勢いよく乗り込んでくる。その勢いのいい鮒を「乗込鮒(のっこみぶな)」といい、春の季語になっている。鮒に限らず、魚が冬眠を終え、深瀬から浅瀬へと移動することを「乗込み(のっこみ)」といい、「乗込み」だけで季語としている歳時記もある。
私の近辺の川でも、春になると飛沫を上げて浅瀬を遡る野鯉の姿をしばしば目にする。これも一種の「乗込み」といえるだろう。夜の雨が上がって晴れわたった朝方などに見かける場合が多い。野鯉のもつ野生の逞しさを感じる光景だ。また、目を海原に転じると、産卵のために深場から浅場へ集まってくる真鯛を「乗込鯛」といい、「桜鯛」の傍題になっている。「乗込み」の習性をもつ魚は他にもあるだろう。
「乗込鮒」「乗込み」が季語として歳時記に載るようになったのは戦後であり、比較的新しい季語だ。前掲の秋櫻子の句が収められているのは1964年に発行された『晩華』などであり、秋櫻子の句を先蹤として、ぼつぼつ例句が作られてきている。ただし残念なことに、歳時記に掲載されている例句の中に、人口に膾炙されるような名句、秀作はない。
いずれにしても、「乗込み」は春を迎えた魚たちの野性や生命力を感じさせる味わいのある言葉であり、今後名句が生まれることを期待したい。