「冬泉」には思索を誘うような独特の静けさがある。単に「泉」といえばその清涼感から夏の季語になっているが、冬の泉の澄み切った様には夏の泉にはない冴え冴えとしたものが感じられる。
掲句は澄み切った「冬泉」を見ていて眼の澄を覚えたとの句意。「澄みゆくまで佇てり」との措辞には、ゆったりとした時間の経過が感じられる。何事にも煩わされない、独り心の至福の時間である。『俳壇』2025年2月号。
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