「初明り」は元日の朝に東の空からほのぼのと差してくる曙光をいう。年が改まった冷気の中を差す曙光は荘厳で淑気に満ちている。新しい一年の始まりを感じさせる。
掲句は年が改まって明け白んでくる山とその山裾に住む家々の情景を詠んだ作品。「初明り」が山容をくっきりと浮かび上がらせているが、山裾はまだ夜の明けきれない闇が家々をつつんでいるのだ。新たな年がうごきだすさまを、「初明り」と山裾の灯の対比により描き出している。『俳句』2025年1月号。
「初明り」は元日の朝に東の空からほのぼのと差してくる曙光をいう。年が改まった冷気の中を差す曙光は荘厳で淑気に満ちている。新しい一年の始まりを感じさせる。
掲句は年が改まって明け白んでくる山とその山裾に住む家々の情景を詠んだ作品。「初明り」が山容をくっきりと浮かび上がらせているが、山裾はまだ夜の明けきれない闇が家々をつつんでいるのだ。新たな年がうごきだすさまを、「初明り」と山裾の灯の対比により描き出している。『俳句』2025年1月号。
「年新た」は始まったばかりの年のこと。年の始め、見るものすべてがめでたく改まって感じられる。
掲句は新たな年を迎えたことを、旧年が西へ去り、新年が東から来ると詠んだ。西に沈み、東から昇るのは太陽だが、年もまた太陽と同じように西に去り、東から来るとの感覚は、誰もが持っているように思う。人々は、一月一日の朝日を初日として特別な目で眺めるが、それは新たな年を迎えた感慨と一体になっている。太陽を神として崇めた古来からの人の信仰心にも思いは及ぶ。『俳句』2025年1月号。
フサカサゴ科メバル属の魚で、クロソイ・マゾイ(キツネメバル)・ムラソイ・シマゾイなどの種類がある。日本沿岸の広い範囲の岩礁などに生息している。北海道や青森県など北国での漁獲が多い。脂がのってくる秋から冬にかけてが旬で、くせがなく上品な味わいの白身魚。

ヤブコウジ科の常緑小低木。暖地の樹下などに自生するほか、観賞用に庭にも植えられる。夏に小さな花をつけた後、葉の下に球形の小さな実が穂のようにかたまってつく。冬に真っ赤に熟す実を賞して、冬の季語とされる。黄色や白い実をつける品種もあり、黄実万両、白実万両と呼ばれる。千両と共に正月の縁起物として飾られる。なお、百両はカラタチバナ、十両はヤブコウジ、一両はアリドオシのこと。

雲の峰踝に水流れゐる 龍太
「雲母」平成3年8月号。
掲句は川の浅瀬に立って雲の峰を仰いでいる情景。頭上には雲が真夏の勢力を誇示し、踝(くるぶし)には清冽な川の流れを感じている。具体的に自らの体の中の一部分(踝)に感覚の焦点を定めたところがいい。雲のもつエネルギーと水の涼味が、夏という季節の醍醐味を味わわせてくれる。
雲の峰は龍太が好んで使った季語の一つで、『遅速』にも 看護婦の三つ指遊び雲の峰 龍太 など3句が収められている。これらの句に比べると掲句は平淡な句柄だが、夏の全貌を表していて捨てがたい佳句だと思う。