孤心への傾斜は、龍太の作品にどのように表れているだろうか。
野に住めば流人のおもひ初つばめ(昭和24年)
雁鳴くとぴしぴし飛ばす夜の爪(昭和25年)
いずれも、句集『百戸の谿』所収。
第一句の句の「流人のおもひ」には故郷に対する否定的な心情とともに、故郷に定住することに伴う孤愁が否応なく感じられる。
第二句には、第一句ほどストレートな心情の表出はないが、故郷に倦みながら、故郷を離れられない鬱屈した心情が、夜爪を切る「ぴしぴし」という擬態語により過不足なく表されており、そこににも作者の孤心が感じ取れる。
故郷に定住しながら作者が感じているこうした孤心、疎外感は、
大江戸の街は錦や草枯るる 蛇笏
などの蛇笏の句から感じ取れる心情と共通するものがある。いずれの句においても、孤心を抱いている作者の念頭から離れなかったのは、数年間にわたり濃密な学生生活を送った東京滞在中の思い出だったろう。
露の村恋ふても友のすくなしや(昭和26年)
露の村墓域とおもふばかりなり( 〃 )
これらの「露の村」の句にも孤心のストレートな表出が見られる。
一方、
わが息のわが身に通ひ渡り鳥(昭和26年)
には、孤心は孤心として、定住、土着の境遇を「わが身」に引き受けていこうとする密かな決意が窺える。
以上の初期作品に次いで、龍太作品の中で孤心への傾斜が強く感じられるのは、昭和40年代である。
落葉踏む足音いずこにもあらず(昭和40年)
目つむれば欅落葉す夜の谷( 〃 )
「十月二十七日母死去 十句」との前書きの付された諸作の中の作品である。
これらの作品からは、父、そして母を相次いで喪った作者の孤心が紛れなく感じられる。句集『忘音』は、母逝去後の重心の低い鎮魂の詩情を特徴とするが、これらの句は、そうした同句集の作品傾向を代表する諸作と言っていい。
第一句には、遺された者が感じている孤愁が色濃く表れている。生前の母が落葉を踏む音を日常の音として聞き慣れていた作者は、「落葉踏む足音」が失われ、作者と母とを繋くものが永遠に失われたことを痛切に感じたのだ。
また、第二句の「夜の谷」は作者の住んでいる「百戸の谿」だろう。目を閉じて欅の落葉する音に耳を澄ませている求心的な独り心の世界がある。
寒茜山々照らすにはあらず(昭和41年)
この句は、母逝去の翌年の作品であり、自然詠であるが、その張り詰めた声調及び否定形の下五に鎮魂の詩情が浸透している。
父母の亡き裏口開いて枯木山(昭和41年)
ふるさとはひとりの咳のあとの闇(昭和42年)
母堂逝去から1、2年経過した時期の作であるが、作者の心は母を喪った悲しみから癒えていない。
父に続いて母を喪った後の孤心への傾斜は、
夕凍ての葱のにほひにうしろの世(昭和41年)
死者に会ふためのつめたき手を洗ふ(昭和43年)
などの作に見られるような死後の世界への親しみとなって表れている。
以上のような母逝去後の作品傾向は、龍太に特異なものではなく、濃淡の個人差はあるが、父母などの身近な人を亡くした人にしばしばみられる普遍的な心の在りようを示している。その常凡の心情の世界がこれらの作品、ひいては句集『忘音』の魅力を形作っている。
ここで思い出されるのは、斎藤茂吉が歌集『赤光』で詠った
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる 茂吉
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり 〃
などの母堂追悼の歌(挽歌)である。茂吉の短歌の魅力も、母を喪った人の心情が愚直なまでに生々しく読む者に迫ってくるところにある。
また、
数ならぬ身とな思ひそ玉祭 芭蕉
秋深き隣は何をする人ぞ 〃
などの句でモチーフになっているのも、常凡の人が誰でも抱くような普遍的な心情である。
これらの芭蕉の晩年の諸作や前掲の茂吉の挽歌は、奇を衒うよりも、平凡を恐れずに自らの心と向き合うとき、作品に光がさすことを示している。
芭蕉の『虚栗』所収の作、
あさがほに我は食くふおとこ哉 芭蕉
は、この句に付された前書きによれば、
草の戸に我は蓼くふ蛍哉 其角
の作に和したものである。この芭蕉の作自体はこれといったところのない平凡な作だが、其角の作に和したところに、対照の妙が生まれた。奇を衒いがちな其角に対して、常凡に徹するところに、自らの詩の世界を開こうとした芭蕉の志向が端的に表れている。
再び、龍太の作品に戻ることにしたい。
句集『忘音』の時期には、自然詠にも作者の孤心が感じ取れる作が多い。
花咲いておのれをてらす寒椿(昭和41年)
この句は、作者が把握した寒椿の咲き様に、自らの「孤心」を重ねた作である。眼前の花の簡潔な姿に作者の孤独な美意識が沁み通っており、
冬菊のまとふはおのがひかりのみ 秋桜子
の作に見られる作者の美意識と通い合うところがあろう。



