去来・凡兆編『猿蓑』を読む(2)

秋ちかき心の寄や四畳半             芭蕉

 芭蕉晩年のこの作には、句座を共にする連衆との間での詩心の響き合うさまがよく表れている。『猿蓑』を読み終わったとき、胸に炉辺の温もりのようなものが残るのも、作品から感じられる連衆心の温かい響き合い故であろう。

雑水のなどころならば冬ごもり         其角

なつかしや奈良の隣の一時雨          曾良

まじはりは紙子の切を譲りけり      丈草

 第一句には、「翁の堅田に閑居を聞て」との前書きが付されている。この句は、「堅田にて」との前書きが付けられた

病鴈の夜さむに落て旅ね哉          芭蕉

の作と響き合っているが、其角作には平穏で心安らかな「冬ごもり」のイメージがあるのに対し、この「病鴈」の句には旅に明け暮れる作者の侘しい境涯が投影されており、この両句の微妙なズレも興味深い。いずれにしても、両句からは、離れ住んでいながらも、発句を通して詩心を響き合わせる蕉門の連衆の在りようが見えてくる。「乙州ガ武江より帰り侍るとて、旧友・門人の消息共あまた届。」との『嵯峨日記』のを思い起こすまでもなく、江戸、京都、伊賀、近江など全国に散らばっていた蕉門の連衆は、書簡の遣り取りや旅を通じて「二次的な座」(尾形仂『座の文学』)としての共同体を形作っていたのである。

 第二句には、「伊賀の境に入て」との前書きがある。曾良が『奥の細道』の旅の後故郷伊賀に滞在中の芭蕉を訊ねた折の作であり、長旅の余韻がまだ尾を曳いている。作者は、奈良の隣で遭う時雨を懐かしんでいるのだが、それは同時に、再び会おうとする師に対する懐かしさ、さらには、旅中の自らの風狂を省みてのなつかしさでもあろう。

 第三句は、「貧行」との前書きが付いており、杜甫の詩「貧交行」がベースにある作であるが、杜甫の詩が社会の風潮に対する孤独な嘆きが主たる内容となっているのに対し、この句には、貧を楽しむ風狂の「まじはり」のあたたかみが感じられるところに両者の違いがある。

不性さやかき起されし春の雨         芭蕉

春雨やぬけ出たままの夜着の穴        丈草

 これらの句にみえる「不性さ」も貧の延長上にある一種の風狂であり、両句の間に連衆間の詩心の交響がみられる。

行春を近江の人とおしみける          芭蕉

 発句の部の末尾に置かれているこの作品では、連衆とともにある惜春の情が詠まれており、近江の惜春を詠った古来の和歌をも踏まえている点で『猿蓑』における発句のあり方を集約したようなところがある。

 蕉門の交わりにおける共通の詩情は風狂ということであった。

一月は我に米かせはちたゝき         丈草

弱法師我門ゆるせ餅の札               其角

鉢たゝきこぬよとなれば朧かな        去来

 これらは、前掲の「まじはりは」の作とともに、貧を楽しむ風狂と言えるだろう。特に、第一句、第三句には、鉢叩という共通の対象を通して詩心を響き合せた蕉門の連衆の在りようが窺える。

鉢たゝき憐は顔に似ぬものか          乙刕

 この作は、当時の蕉門の連衆の間で形作られた鉢叩の共通的なイメージと、現実に目にした鉢叩の風貌との落差がモチーフになっている。

いづくにかたふれ臥とも萩の原       曾良

月見せん伏見の城の捨郭                去来

柿ぬしや梢はちかきあらし山         同

 これらの作に共通するのは、日常の世界から離脱して、旅や「捨郭」における月見など、世俗的な計らいの外に身を置いていることである。第三句には、「自題落柿舎」との前書きが付されている。嵐で柿の実が全部落ちてしまい、自らが大損したことを興じたのである。この句にも、損得という世俗の計らいの外にある作者の心の在りようが表れている。

 鳶の羽の巻の付け合いに、

湖水の秋の比良のはつ霜              芭蕉

柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ      史邦

があり、後者は柿主去来を諷喩したものと言われている(安東次男)。連衆の間の詩心の交響を示す一例である。

 以上のように本撰集所収の発句、歌仙からは、「此一筋につなが」った芭蕉を中心にした連衆の心の響き合いが伝わってくる。

  

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