廣瀬直人の俳句(4)

前回まで述べたような直人俳句における対象との関わりは、句集『矢竹』において一層緊密になっている。

空のまま立つ白梅の盛りなり          直人

爛漫といふ刻ありて山桜           〃

 月日はそのままでは目に見えないものだが、第一句の「空(うろ)」は、白梅が経て来た歳月が目に見える形となったものである。「空」を抱えたまま咲き盛る白梅に注がれる眼差しは、自ずと、白梅の経てきた年月への思いとともに、白梅と過ごしてきた作者自身の歳月への思いに繋がってゆく。『遍照』には、同じ梅の古木が対象になったと思われる

青梅が真つ暗がりの虚に落つ          直人

の作がある。同年(平成六年)の

亡き母の齢また積む芽山椒            直人

の作と併せ読むと、「青梅」の句の底知れない虚の暗さは、その時の作者の心象風景そのものだったろう。いずれにしても、この梅の古木も、作者の風土を形作る素材の一つとして、繰り返し詠まれている。

 また、前掲の第二句では、「山桜」とともに、「爛漫といふ刻」を過ごしたことが詠われている。「爛漫」は通常花の咲き乱れるさまの形容に用いられるが、この句では山桜を眺めながら、山桜とともに過ごす時間の豊さの形容に用いられている。咲き盛る「山桜」とともに心豊かな時を過ごしている作者にとって、「山桜」は、一方的に描写する対象というよりも、この世で生を共にする縁をもった知己のようなものだろう。なお、この句は、『朝の川』所収の

何事もなく刻過ぎて桜満ち            直人

の変奏という面もある。この句の焦点も、「何事もなく」過ぎてゆく桜とともに過ごす時間の豊かさにあり、対象との緊密な繋がりが、作者に、対象と共に過ごす時間そのものの豊さを意識させたと言っていい。

 対象とともに過ごす時間に焦点を当てた作品としては、他にも、

白菖蒲急かるるとなき時に遇い        直人

がある。以上のいずれの作にも、対象との緊密な繋がりが根底にあって、対象とともに過ごす時間の豊さへの意識が生まれている。このような時間の豊さへの意識は、特に、春のゆったりとした季感の中で生き生きと働くようだ。

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