今年も暑い季節が到来した。暑さの最中に感ずる一抹の涼気は、夏負けして草臥れた身心には有難いものである。涼風の中で、身も心ものびのびとする。これは家にいても旅先にあっても同じだろう。
旅中にあっての涼しさを詠った句といえば、『奥の細道』所収の
涼しさを我宿にしてねまる也 芭蕉
の作が思い浮かぶ。同書の尾花沢の段には、「・・日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。」とあって、この句が置かれている。当地で紅花問屋を営んでいた清風宅での手厚いもてなしに身も心もくつろいでいることが、「涼し」という季語の選択に表れている。
しかし、この「涼し」は、独り居の無心、気儘なくつろぎによるものではなく、芭蕉一行をくつろがせてくれている清風のもてなしに対する感謝の心を込めた挨拶であった。言い換えれば、この句の「涼しさ」は、初対面の人との風雅の交わりにおける「涼しさ」である。「今のはいかいは日頃に工夫を経て、席に望んで気先を以て吐くべし。」(去来抄)との芭蕉語録が残されているように、連句を巻く「席」、「隔心の会」は、俳諧師としての自らの力量が試される半ば公の場であった。
芭蕉は、主のもてなしに感謝しながらくつろいでいるのだが、俳諧師としての自分が主にとってどのような立場にあり、どのように振る舞うことが期待されているのかといったことを片時も忘れていない。
なお、この句の「ねまる」は、くつろぐという意味の尾花沢地方の方言で、芭蕉は、旅中耳にした当地の方言を早速詠み込んで一句に仕立てている。言葉に対する芭蕉の感度のよさを示す一例だろう。
さみだれを集て早し最上川 芭蕉
よく知られているように、この句の、大石田の高野一栄宅に滞在中の初案は、
さみだれを集て涼し最上川
だった。この句の「涼し」にも、一栄のもてなしに対する挨拶の心ばえがある。
朝露によごれて涼し瓜の泥 芭蕉
この句の「涼し」は、朝、畑から採ってきたばかりの泥のついた瓜の印象を即物的に捉えたもので、初案は「瓜の土」だったが、「泥」と推敲したと言われている。この推敲により、「涼し」に一層の臨場感が加わった。
しかし、去来の別墅落柿舎での作であることを念頭に置いて、改めてこの句を眺めると、この句の「涼し」には、「瓜の泥」の即物的な把握というだけではなく、上方への旅中にあって暫くのくつろぎの処を得た芭蕉の去来に対する挨拶の心ばえが見えてくる。加えて、そこに居合わせたであろう門弟たちへの親しみも込められている。
下々も下々下々の下国の凉しさよ 一茶
この句は、一茶が、三十余年の漂泊生活の後、郷里柏原に帰住した年(文化十年)の作である。「おく信濃に浴して」との前書きがある真蹟があるから、柏原近在の温泉宿に泊まったときの作だろう。下五「凉しさよ」に、紆余曲折はあったが曲りなりにも故郷柏原に帰ることができた作者の安堵感、至福感が表れている。少し想像を逞しくすれば、他の浴客が疎らな温泉宿の座敷に大の字に寝そべって、「下国」の主であるかのようにゆったりと気ままにくつろいでいる一茶の姿が彷彿とする。
この句には、前掲の芭蕉の作とは異なり、他者に対する挨拶の心ばえは無い。
風生と死の話して涼しさよ 虚子
亡くなる二年前の作。死をモティーフにして、これほど涼気の感じられる作品を私は知らない。虚子の数多の弟子たちのなかで、風生は、虚子の句のもつ軽やかさを最も確かに受け継いだ俳人だった。掲出句からは、心を許し合ったそうした師弟の間の、微醺を帯びてのくつろいだ会話が想像される。二人の外には人の気配はない。両者の話題が偶々死のことに及んだのだが、夜涼の中で、会話が滞ったり深刻になったりすることなく、それぞれが自分の思っているところをさらりと述べて、何事も無く別の話題に移っていった。
この句には、両者の交友の在りようとともに、虚子の自然観、死生観が自ずから滲み出ている。虚子にとって、死とは、殊更恐れたり拒んだりするものではなく、水が低い方へ流れるように、生きとし生けるものに自然に訪れるものだった。
この句は、人との交友の中での涼しさを詠んでいる点では、前掲の芭蕉作と共通しているが、芭蕉作のような半ば公の場(席)にあっての挨拶の心ばえはない。心を許し合った師弟を分け隔てなく涼気が包んでいる。
幼子のいつか手を曳き夜の秋 龍太
どの子にも涼しく風の吹く日かな 〃
いずれも涼気の中に子供が登場する作である。第一句で登場するのは日常傍らにいて、作者に馴染んでいる幼子(恐らくは作者の孫)であり、第二句で登場するのは校庭などで遊んでいる不特定多数の子供たちである。
第一句は、夜に入って心地よい涼風を肌に感じながら門前などで涼んでいる情景だろう。「いつか」との措辞は、この時の作者のゆったりとくつろいだ心の状態を示しており、同時に、作者と「幼子」の間柄も暗に示している。
前掲の
涼しさを我宿にしてねまる也 芭蕉
が、旅中、俳諧を通した交わりの中にあっての作であり、「ねまる」と言っても、絶えず、俳諧師としての己の立場を意識し、自己を客観視した上でのくつろぎであるのに対し、この句の、「いつか」傍らにいる幼子の手を曳いていたという無意識の動作は、その時、作者の心に余計な負担が掛かっておらず、無心に近い状態にあることを示している。
第二句で詠われているのは、戸外で日焼けして遊びまわっている子供たちであり、折からの涼風がこれらの子供たちに遍く吹きわたっている。この句の「どの子にも」との措辞には、眼前に遊んでいる子らに分け隔てなく注がれる作者の優しい眼差しを感じ取りたい。遊んでいる子らの傍らで、作者も、同じ涼風に吹かれて佇んでいる。
この句について、作者は、幼くして急死した次女の面影をダブらせているとの鑑賞も散見する。夭折した次女の面影が作者の胸中から消えることがないとしても、この句から感じられる幸福感からみて、鑑賞に当たって次女の夭折ということを過度に強調する必要は無いだろう。
涼しさに鳥が深山の声を出す 龍太
この句からどのような鳥を想像するかは読者の自由だが、私は勝手に鵯を想像しながらこの句を読んでいる。鵯はどこにでも見掛ける留鳥で、その甲高い鳴き声を間近で聞くときなどは、涼しさよりもむしろ暑苦しささえ覚えるのだが、朝夕の涼気の中で気持ち良さそうに鳴く鵯の声には、決して美声ではないが、「深山の声」と形容するに相応しい爽涼の気がある。作者も鳥と同じ涼気の中に身も心も溶け込ませている。
炎天を槍のごとくに涼気すぐ 蛇笏
この句から感じられるのは、「相手をきッと見て仕留めよう」(飯田龍太)というように、五感を研ぎ澄ませて、炎天を見上げている作者の姿である。蛇笏にあっては、炎天を吹き過ぎる「涼気」さえも、五感で捉えて「仕留める」対象だった。「涼気」のなかに身心を溶け込ませてくつろいでいたら、掲出句のようにそれを形象化することは難しい。
この句からも分るように、蛇笏の詩情は自適のくつろぎから遠いところにある。
ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 蛇笏
蛇笏の句風は、「瞑想の風姿」(廣瀬直人)と評されることはあるが、くつろぎを感じさせる作品は、全作品に目を通してみてもほとんど見当たらない。
しかし、掲出句などは、くつろぎの状態にある作者(又はある人)の姿が彷彿とする数少ない作例だろう。省略が効いた確かなデッサンであり、読者は、情景を自由に想像しながらこの句を読むことになる。作者(又はある人)の放心とも無心ともつかない心の状態が、「とけたる帯をもちしまま」とのいうさりげない動作から窺え、そこには夜涼の気配がただよっている。
言葉待ちつつ涼しさの中にゐる 直人
この句には「北海道雲母の会(三句)」との前書きがあり、定山渓で開催された「雲母」の全国大会に出席したときの作である。
涼しくてときに羆の話など 龍太
も、同じ旅中の涼気の中にあって生まれた作である。
掲出の直人作においては、俳友との交友の中で作者が感じている「涼しさ」が詠われており、その点は、前掲の芭蕉や虚子の句と共通している。虚子の句では、風生との会話を包み込んでいる「涼しさ」が詠われているのだが、掲出の直人作品には、作者の会話の相手について、特定の誰というような限定はなく、また、交わしつつある話の中身も一切省略されている。相手から返される言葉を待っている作者もその人も、同じ「涼しさ」の中に居る。省略を極めた作品だが、作者とその人との交友の在り様が鮮やかに浮かび上がってくる。