俳句で「花」といえば桜の花のことだが、特定の植物を指す「桜」より、より豊かなイメージの広がりがある言葉だ。
掲句の「花びら」も、特定の桜の花びらというより、作者の心眼が捉えた花びらだろう。折から平成19年に逝去した飯田龍太の七回忌に当たる年である。空深くから「花びら」や「言葉」が降ってくるとの感受に、師龍太への追慕の思いが感じられる。天上で開かれている花見の宴を想像したくなる。2023年作。『橡の花』所収。
俳句で「花」といえば桜の花のことだが、特定の植物を指す「桜」より、より豊かなイメージの広がりがある言葉だ。
掲句の「花びら」も、特定の桜の花びらというより、作者の心眼が捉えた花びらだろう。折から平成19年に逝去した飯田龍太の七回忌に当たる年である。空深くから「花びら」や「言葉」が降ってくるとの感受に、師龍太への追慕の思いが感じられる。天上で開かれている花見の宴を想像したくなる。2023年作。『橡の花』所収。
北海道の太平洋岸で獲れるカサゴ目の深海魚。金目鯛によく似ている。正式名称は「きちじ」で、「喜知次」「吉次」「黄血魚」などと表記する。地域によってさまざまな呼び名がある。煮付けにするのが一般的。なお、歳時記には掲載されていない。

3、4月頃、大根、蕪、菜類が蕾をつけた茎を高く伸びたたせること。一般的には、茎が伸び始めると葉がこわ張って瑞々しさがなくなり、大根などは鬆(す)ができて味が落ちる。ただし、コマツナ、ハクサイ、チンゲンサイ、ミズナなどのアブラナ科の野菜は、茎立となってからも食べられ、蕾のうちが食べ頃という。葉牡丹など、身近な園芸植物も、菜類と同様茎立をする。

「鳥曇り」は雁や鴨などの渡り鳥が、春、北へ帰る頃の曇り空のこと。渡り鳥が北を指して飛び去った後には、どんよりと曇った空が残される。
掲句は「鳥ぐもり」の頃の一抹の空虚感、寂しさを、鍵盤の一つが鳴らない楽器によって浮かび上がらせた作品。指で押しても鳴らないキーがあるというのは、ピアノやオルガンを戯れに弾いているに過ぎないとしても、どこか物足りない感じがするものである。そんな時の心の隙間に、春の物憂い哀愁が入り込んでくるのだ。『俳句四季』2024年3月号。