山寺の悲しさ告げよ野老掘り 芭蕉 『笈の小文』旅中の作で、真蹟懐紙に「菩提山即時」との前書きがある。芭蕉は貞享4年12月中旬旅の途次に帰郷し、翌2月、亡父の三十三回忌追善法要に参列。掲句はその後訪れた菩提山での作。菩提山は菩提山神宮寺のこと。伊勢市中村町朝熊山の西の尾にあった聖武天皇の勅願寺で、鎌倉中期に大伽藍が消失して以降、当時は荒廃していた。菩提山のほとりで、折りから野老(ところ)を掘っていた里人に、この山の悲しい転変の歴史を語ってくれよと呼びかけた。
この山の悲しさ告げよ野老掘り 芭蕉 『笈の小文』に収められている句形。「山寺の」では、対象と距離を置いた第三者的なよそよそしさがあるが、「この山の」と推敲したことにより、作者と対象との距離がぐっと近くなった。荒廃した寺に佇む作者の嘆きが聞こえてくるようだ。普段は何気なく使う「この」という近称の指示連体詞も、使い方によっては効果的であることを改めて認識させられる推敲だ。