紅葉に彩られた山の姿をいう。北宋の画家郭煕(かくき)による『郭煕画譜』の「秋山明浄にして粧ふが如く」から生まれた季語。山笑う(春季)、山眠る(冬季)などと同様、山を擬人化している。

紅葉に彩られた山の姿をいう。北宋の画家郭煕(かくき)による『郭煕画譜』の「秋山明浄にして粧ふが如く」から生まれた季語。山笑う(春季)、山眠る(冬季)などと同様、山を擬人化している。

11月頃から1月頃にかけて咲く桜の総称。本来、冬桜というと、大島桜と豆桜の交配によって生まれた雑種のことで、初冬と春の2回の開花期があることから、四季桜と呼ばれることがある。白から淡いピンク色の小さな一重咲きの花を楚々と咲かせる。

無患樹(むくろじ)はムクロジ科ムクロジ属の落葉高木。晩秋の頃、直径2センチほどの実(無患子)が黄褐色に熟す。
掲句は平成11年9月に死去した父を偲んで作った一句。作句の契機は、川にかぶさるように枝を張り実をつけている無患樹を眺めていて、ふと父のことを思い浮かべたことによる。急性心不全による突然の死だったので、20余年経った今でも生前十分語り合えなかったことを残念に思っている。令和5年作。
寒き田や馬上にすくむ影法師 芭蕉 貞享4年作。真蹟懐紙に「天津縄手」との前書きがある。天津縄手は天津から田原町までの4キロほどの渥美湾に沿う縄手道。海上から吹いてくる季節風が田面を渡ってきて冬は極めて寒いという。11月11日の朝、芭蕉は吉田の旅宿を立って、尾張蕉門の越人とともに天津縄手を通って杜国の隠れ家のある保美に向った。掲句はその時の芭蕉の実感だろう。寒風に竦みながら田の面に落とす自らの影を「馬上にすくむ影法師」と描写した。冬の田の荒涼とした景色が浮かび上がってくる。
冬の日や馬上に氷る影法師 芭蕉 何回かの推敲を経て落ち着いたのが、『笈の小文』に掲載されているこの句形。紀行には、「天津縄手、田の中に細道ありて、海より吹き上ぐる風いと寒き所なり。」との前文がある。初案では冬の田に落とす寒々とした自らの影に焦点が当てられていたが、冬の田の形象を捨象し、田に落とす自らの影も切り捨て、素材を馬上に氷りついた自らの姿と頭上に鈍く光る冬の日に再構成し、モチーフを純化した。俳句において、何を描写し、何を捨象するかの素材の選択の大切さを再認識させられる。