秋風や石吹き颪す浅間山 芭蕉 元禄元年8月、芭蕉は越人を伴い、『更科紀行』の旅にあった。木曾路を辿り、更科の月を賞した芭蕉は、その後善光寺に詣で、浅間山の南麓を通って江戸に帰った。掲句は真蹟草稿に残されている初案。「秋風」がやや常套的で、荒涼とした浅間南麓を吹く野分の激しさは十分には伝わってこない。
吹き颪す浅間は石の野分哉 芭蕉 吹き落す浅間は石の野分哉 〃 吹き落す石を浅間の野分哉 〃 いずれも真蹟草稿に残されている句形。芭蕉は初案に飽き足らず、何度も推敲を重ねたことが分かる。
吹き飛ばす石は浅間の野分哉 芭蕉 『更科紀行』に掲載されている最終形。荒肌を露出して荒涼とした浅間山麓の風土を眼前にした経験が、この推敲に生かされている。「石は」と石に焦点を当てて、野分の激しさを描き出した。