稲の香や分け入る右は有磯海 芭蕉 元禄2年旧暦7月15日、『おくのほそ道』の旅中の作。真蹟草稿にある句形。越中・加賀国境の倶利伽羅峠辺りで、眼下はるかな富山湾を眺望しての作か。「有磯海」は放生津から氷見辺りまでの海を指す越中の歌枕だが、曾良の『随行日記』によれば、芭蕉は有磯海へは行かなかった。右手に歌枕の海を遠く望みながら、行かずに通り過ぎようとしている旅人芭蕉の愛惜の気持ちも感じられる(山本健吉)。
早稲の香や分け入る右は有磯海 芭蕉 『おくのほそ道』では「早稲の香や」と推敲し、「かゞの国に入」との地の文に続いてこの句が掲載されている。「稲」→「早稲」への推敲により、稲田を渡る初秋の風の明るさや実り始めた稲の匂い、海原のきらめきが臨場感をもって迫る作品になった。「有磯海」は越中の歌枕だが、加賀、越中、能登はいずれも当時前田百万石の領内であり、この三国を合わせて加賀の国といったところに、大国に対する芭蕉の意識が表れている。この句については、『三冊子』(赤草紙)で、大国に入りて句を詠むときの心得の例として挙げられている。古来の歌枕「有磯海」を詠み込むことで、大国加賀への挨拶としているのだ。訪れる地霊への挨拶として句を作るという芭蕉の心情は、現代の俳人には失われてしまった心の在りようだろう。