一声の江に横たふやほととぎす 芭蕉 元禄6年4月江戸での作。この句が作られた経緯については、同年4月29日付けの宮崎荊口宛て書簡に詳しく記されている。同年3月手許に預かっていた甥の桃印が肺病で病没し、悲嘆に暮れる芭蕉に、杉風、曾良ら門人が、「水辺のほととぎす」の題で句を作るよう勧めたという。別案に 郭公声や横たふ水の上 芭蕉 の句形もあった。いずれの句も、蘇東坡の「前赤壁賦」の「白露横江、水光接天」の詩句が下敷きになっている。芭蕉は句の優劣に迷って、門人らの判定を乞うた。そして沾徳から「・・「江」の字抜きて「水の上」とくつろげたる句の、にほひよろしきかたに思ひ付くべき」などの意見が出て、「郭公」の句の方に決まったという。
郭公声横たふや水の上 芭蕉 上掲の「郭公」の句を推敲した最終形がこの形で、『藤の実』に掲載された。「一声」と「郭公」の句形のいずれがよいかは意見が分かれるところで、私は、「一声の」の句の方が「郭公」の声の余韻が江に伸びやかに響くような気がするのであるが、いかがだろうか。