芭蕉の推敲(23)

夏馬の遅行われを絵に見る心かな 芭蕉                    天和3年夏甲州都留郡谷村の門人、谷村藩家老高山麋塒(たかやまびじ)邸に寄寓した折の歌仙の発句。天和2年12月の江戸大火により芭蕉庵が類焼したため、この時期芭蕉は甲斐郡内の門人宅に身を寄せていた。『俳諧一葉集』には、「甲斐の郡内といふ處に至る、途中の苦吟」との詞書が付されて                         夏馬ぼくぼくわれを絵に見る心哉 芭蕉                    の句形で掲載。初案の改案と思われる。のろのろ歩く様を表す「ぼくぼく」という擬態語は効果的だが、上五の「夏馬」は熟さない措辞だし、「心哉」の下五は自己を客観視する意図があらわに出過ぎている嫌いがある。

馬ぼくぼくわれを絵に見る夏野哉 芭蕉                         最終形はこの句形になった。『水の友』には、画賛として、「笠着て馬に乗りたる坊主は、いづれの境より出でて、何をむさぼり歩くにや。この主の言へる、これは予が旅の姿を写せりとかや。さればこそ、三界流浪の桃尻、落ちて誤ちすることなかれ」との詞書が付されている。当初から画賛だったのではなく、自らを画中の人物として客観化する発想の作品であることが、画賛への転用を思いつかせたのだろう。「ぼくぼく」の擬態語を用いたことで、暑い野道をのろのろ歩く馬に揺られている旅中の芭蕉の姿が彷彿する。自己を客観視することで、旅中の苦しみを句作の糧に変えているともいえる。擬態語の表現効果について、認識を新たにする一句だ。

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